「最強の現場の創り方 ~人を育む企業に不況は無い~」(2010/08/24開催)

「最強の現場の創り方 ~人を育む企業に不況は無い~」(2010/08/24開催)

経営者にとって大切なことは、会社を永続的に繁栄させることです。その為に欠かせないのは人材育成です。 しかしながら、「日々の社長業で忙しい」「人材育成の前に営業活動で忙しい」「人材育成の手法を勉強したことがない」という経営者は多いのではないでしょうか。 会社の様々な問題を改善するためには、まず「人」を変えることから始めなければなりません。これは大企業でも中小企業でも同じです。 本セミナーでは「最強の現場の作り方」と題し、ブックオフにおける人材育成について講演いたします。 経営者の方は後継者の育成のために、事業を受け継いでまもない若手経営者や後継者の方は、まだ慣れない人材育成のポイントやノウハウを学ぶために、ぜひ奮ってご参加ください。

本文の後ろに添付資料がございます。印刷してご利用ください。

皆さま、こんにちは。海外のニュースで見るような素晴らしい会場に来させていただいて本当にありがとうございます。こちらでやってらっしゃることが素晴らしい活動なのだろうと思いまして感激しております。それに相応しい内容になるかどうかが心配でございますが、どうぞよろしくお願いいたします。

沢山のお申し込みをいただきまして、本当に有り難く存じます。2時間というお時間をいただきましたが、ただひたすらお話するだけですので、つまらなくなってしまうのではないかと思いますが、私の通ってきた道をお話します。その中で、人を育てるというか、現場でこんなことがあった、こんな時にはこんなことを思ったという事でお話をさせていただこうと思っております。

レジメといいますか、何を話しているかわからなくなったら申し訳ないと思いましたので、メモ程度に書かせていただきました。また、人材育成のツールとして使っている資料、そして、会社で使っているリーフレットとして「捨てない人のブックオフ」というインフラ企業になろうという事で、会社の説明としてお渡ししております。

立派な経営者がたくさんいらっしゃるなかで、今更なんですが、やはり経営資源として「人、物、金」が重要で、特に人の育成はとても大切になると思います。レベルの高い人が会社の収益を上げていくのは当たり前のことなのです。私の中で、今流行っている言い回しで「ナントカが9割」等があるのですが、働いている人のモチベーションが全てかと思います。

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ブックオフ・コーポレーションにパートとして入社した時の話を少しさせていただきます。会社の説明を少しさせていただきますが、1990年に本・CDの中古を始めまして、1号店を神奈川県相模原市の住宅街の真ん中にオープンいたしました。

フランチャイズの本部でもありまして、今全国でブックオフ事業が900店舗です。海外は13店舗ございます。この8月28日に、アメリカ西海岸でデルアモファッションセンター店をオープンいたします。それで、海外へは14店舗。ニューヨーク、パリ、ロサンゼルス、バンクーバー、韓国にもございます、そしてハワイにもございます。

このように海外に出店しております。また、中古の子供服、ゴルフ等のスポーツ用品、貴金属、婦人服等の、本・CD以外の業態も途中から始めております。本・CD以外の店舗が約140店舗ございまして、TSUTAYAさんやハードオフもやっておりますので、全部合わせると約1100店舗くらいになります。

1990年の春ですが、もう私の歳はバレていますので言ってしまいますと、ちょうど私が40歳になりました時に、1枚の新聞折り込みが入りました。古本屋をオープンするためのオープニングスタッフを募集すると言う事でしたが、時給は600円です。

それで、自分で言うのもなんですが、一生懸命主婦業をやっておりましたので、卵が98円だと言われれば一生懸命自転車を飛ばして行ったり、シャンプーの安売りにも行ったりして、帰りに卵とシャンプーを入れた自転車で飛ばして転んでぐしゃぐしゃになってしまって何のために行ったのか分からないような、そんな事を一生懸命やっていました。

しかし子供が義務教育を終えまして、高校・大学と進学することになりますと、授業料などのかかる経費の桁が違います。今までの感覚では、とても子供達を上の学校までやることはできないし、家で「3時のあなた」ばっかり観ていてもダメだから、パートに出たいと思っていた時にそのチラシを見ました。

私は自慢じゃないのですが、本当に不器用で、今もそうですが何にも能力がないんです。小さい時にお手玉を友達とやるときにも最後まで出来なくて、とうとう泣き出してしまいました。また、フラフープを皆で回すんですが、今まで一度も回せた事がないというようなダメダメ人間なんです。そこには、本の販売・管理と書いてありまして、掃除とか片づけだったら自分にもできるかなと思いまして、応募いたしました。

その頃のパートの仕事と言いますのは、「ハンダ付け」という、若い方はわからないかもしれませんが、精密機械をハンダで付けて仕上げる仕事とか、経理だったらそろばんがありました。ハンダ付けは不良品を沢山出すかもしれないと怖くて行かれませんでした。そろばんは、今でも経理の業務は苦手ですのでダメだったのですが、体を動かす事だったらできると思い応募いたしました。

人がいなかったこともあって採用してもらったのですが、とにかく覚えが悪いものですから、本を買い取る際の買取価格や陳列の順番を覚えなければいけないんですが、人の何倍も時間をかけないと覚えられませんでしたので、休みの日とか休憩時間に段ボールの端切れに書いて一生懸命暗記してみたり、また、皆がオフの時に私も家で一生懸命順番を覚えたりしました。

レジ打ちは、学生さんはパソコンのゲームやキーボードに慣れていますからレジ打ちはすっと入っていきます。私はそういうものは全く分かりませんので、家に帰って紙にレジを書いてそれを指でなぞりながら練習しつつ、皆の足手まといにならないようにパート時代を過ごしました。

90年の4月17日にパートとして始めて出たのですが、それまで18年間は専業主婦としてずっと家に居ました。2週間経った頃、面白さに嵌ってしまいました。何もない棚に少しずつ本が入って行くのですが、自分達が加工して少しずつ棚を埋めていくという事がやりがいにつながりました。

今は、一店舗に20万冊、30万冊を入れる大型店舗が多いのですが、その当時は40坪の店内に約4万冊もあれば、1店舗仕上がりました。

ただし、全部手で、紙やすりで、汚い部分をこすって加工しました。一生懸命紙やすりで擦って、特殊洗浄液で拭いて、棚に陳列してやっと出来上がる感じなのですが、髪の毛もメガネも、そしてまつ毛も、埃で真っ白になって回りが見えなくなるまでやったという笑い話もありました。粉の中で一生懸命、本を加工していました。

18年位は専業主婦として自分の時間は自由に使っていました。好きな時に食べて好きな時に寝て、テレビを見てという生活でしたので、外に出ることのプレッシャーがありました。朝出る前にゴミ出しや子供の弁当を作り、洗濯もしなければならない。

また、夕食の準備も早めにしなければならないですので、何とか完璧にやろうと頑張ったのですが、結局2か月で8キロくらい痩せました。今はどうダイエットしてもなかなか痩せないのですがその当時は気を遣ったというか、神経を本当に使いました。

面接の時に、「水曜日は子供の塾がありますので早く帰らせてください」子供が中学の頃でした。「5時まで出来ませんので4時に帰りたいと思います」、「土、日曜は主人がおりますのでお休みいただきます」という条件で入らせてもらったのですが、4時は4時でも、夢中になってしまい朝の4時に帰るくらい夢中になってしまいました。

これを入れなければ、この棚を仕上げなければオープンができない、5月2日のオープンに間に合わないと、もう少しもう少しと、どんどん時間を延ばしてしまいました。結局朝方、新聞配達の人と出会うような時間に帰るくらいまで夢中になってしまいました。

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こんなに嵌ったのには理由があります。後で自分なりに考えてみたのですけれど、三つ理由があります。一つには、私は専業主婦として家に居るときには、だいたい「橋本さんの奥さん」。それから、子供がおりますので、「○○ちゃんのおばさん」とか、それからラッシーという名前のシェトランドシープを飼っておりましたので、「ラッシーのおばちゃん」で近所では通っていました。

それがパートに出たときには橋本真由美という個人として認めてもらえる。給与振り込みをするので通帳を持ってきてくださいと言われまして、勇んで主人の名義の通帳を持って行きましたら、「いやいや、ご主人のではなくあなたの名義の通帳を」と言われまして私の名義の通帳を作ってもいいのだと思いました。それから、自分のやりがいのために時間を使っても良いこと。それまでは子供と主人のために時間を使っていたのに、私個人を認めてもらえたという事がブックオフに嵌ったという一つの理由であります。

二つ目は、そういうやりがいを感じながら楽しんでやらせていただいて収入も伴うということです。確かに主人は真面目で一生懸命働いてくれていましたし、食べていくには問題は勿論なかったのですが、やはりプラスアルファで収入が入るというのは大変うれしいものです。

例えば、子供達とデパートに出かけ、黒とグレーとどっちを買おうかとなった時に、両方買えばいいじゃないのというささやかな喜びがありまして、収入がプラスで入って来るというのは大変嬉しかったです。

三つめは一番大きな理由です。お客様が本を持ってこられて、買わせていただいて、さっき申しましたように埃にまみれて加工して削った本が売れたときの喜びというのは、語弊があるかもしれませんが、新しい物を業者さんから仕入れて販売したというよりも、わが子を育てた感覚があります。いくらで売ろうかという価格決定権や、どうやって陳列したらよいかを自分で決められる自由度がありました。そういうものが売れた時の喜びは中古業でないと味わえないものがありまして、一生懸命やりました。

今は、残業・遅くまで働くことに関しては、私どもは上場企業になりましたので、労働基準監督署という所からかなり難しく言われると思いますが、その頃は夜も昼もなく、出店に備えて1号店、2号店ということで一生懸命働きましたので、やらされているというよりは、自分達でやろうと皆で一致団結した時代でありました。

本というのは大変重いですし、埃だらけですし、汚れるし、もちろん家でテレビを見ている時よりも人間関係が難しくなって悩む事もありました。それからノウハウも何もないところからのスタートでした。

ただ、私を必要としてくれる場所があると、その仕事の対価としてお金が入って来る。人材は、材料の材と書きますが、人材の材料が人の財産になって、それが会社の財産になります。そのためには、こういったやり場というものが人のモチベーションに繋がると感じました。

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約1年たったころに2号店を出そうと言う事になりました。私の感覚では、のれん分けという感じで、まだ1号店も軌道に乗っていないのに、もう2号店かと思いました。社員も、きちんとした社員が未だいませんでしたので、私はパートのまま、パート店長と言いますか、店長をすることになりました。何か面白いおばさんだと思われたのか、全然能力も無いのに、店長という責任者をやることになりました。

何のノウハウもないのでどうしたらいいのかを考え続けました。例えば、新刊書店さんでは、文庫を並べるとき出版社で並べます。徳間とか岩波とか新潮社で並べます。私達もそのように並べてみたのですが、それではとても寂しい棚になるのです。

ならば、商品のボリュームを出すためには出版社ではなく作者別に並べたらどうだろうと。例えば、赤川次郎のコーナーの中には、徳間も岩波も新潮社も集まるという風にすると結構上手くいきまして、ボリュームが出るのです。こういう感じで良いのだと思いました。

そうすると翌日からモチベーションは上がるばかりです。その続きをやりたくて朝も家でお洗濯をしながら、あの続きを早くやりたいから早く行こうとか、お洗濯をしながらも頭の中はあの続きはどうしたら早くできるのだろうと、どんどん面白くなりました。主婦業とブックオフの仕事の比率が逆転していくような毎日になりました。

2号店は91年お正月にオープンしまして、1年も経たないうちに不振店になりました。だんだん売り上げが落ちて行きました。ちょうどクリスマスの日に当時の社長が来られて、「橋本さん、店を閉めようか」と言われ、私はパートでしたので経理上の事も殆ど分かりませんでしたが、おそらくオーナーの持ち出し分で私達の給料を払っていただいていたと思います。

もうここまでということで、毎日の売り上げが3万円くらいにまで落ち込んでいたと思います。そこで、店を閉めようかとクリスマスイブの日に宣言をされてしまいました。

その頃店にはパートの私を含めてどんなスタッフがいたかといいますと、その後は幹部社員になって活躍したりブックオフオンラインの社長になっている人間とかがいるのですが、当時はいい加減で、「今日は橋本さんが休みだから、サボる日」と決めて、私のオフの日にはカウンターで煙草をくわえながら足を組んでレジを打ったりとか、何も加工をしなかった事があったらしいです。そんな調子ですから売り上げは上がるわけはありません。とうとう3万円を切ることになってしまいました。

当時、私は主婦で責任を任せられ、なんとか頑張ろうと必死に空回りをしていたと思います。でもとうとう店を閉めると言われたので、25日、26日も外に出てスタッフにも話せずに泣いておりました。

今は99%がブックオフで、主婦業はもう1%も無いくらいなのですが、その頃はまだ半分くらい主婦業をしておりまして、お姑さんが福井の田舎から出てこられるときはお料理もしなくてはならないし、家のお節料理、掃除もしなければならないし、でも店は潰されてしまう。どうしようかと思って、30日も外で泣いておりました。

そうすると、いい加減なスタッフだと思っていたスタッフが、「どうしたの、何に泣いているの」と来ました。私はその二人くらいのスタッフに、「この店は1月で終わりになるのよ」と言いました。すると、「橋本さん、家に帰りな。お姑さん来るんだから。俺達がなんとかしてやる。俺達が絶対この店をなんとかする」と言ってくれたんです。

それまでの彼らと言えば、商品の出張買取というシステムがあるのですが、5時までの勤務で5時ちょっと前に「とても良いドラゴンボールの本があるんだけど」という電話が入って、私は運転も得意じゃありませんでしたので「行ってもらえる?」と聞くと、「えー、行くんですか?明日じゃだめなんですか?」というあんばいでした。

何しろ、彼らの目的は5時にタイムカードを押すと同時に目の前のパチンコ屋の一番玉の出る台に座ることでしたから、5時ちょっと前に出張買取に出ると台を取られてしまうので行きたくないのです。

そんな彼らだったのが、今までは何だったのかという一体感で私を家に帰らせてくれました。私は、30日ですから売れ残りのお節を適当にスーパーで買って、坂道を自転車を引きながら涙でかすむ夜の道を家に帰りました。家に帰って、お客さんの接待とか、お姑さんの世話をしながら過ごしました。

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彼らからは電話がありました。お正月効果というのはあったと思うのですが、3万円しか売れていなかったのが、元旦が23万円、二日は21万円、三日も20万という売り上げを記録しました。どうしてあの店がこんなに変わったのかと思いながら休み明けの4日に出勤しましたら、「この店を潰してはならない」という思いのもと、本当に見違えるようなスタッフがいました。気持が一つにまとまって、すごいパワーになっています。

1月のミーティングで「橋本さん、立って下さい」と言われました。本当に閉店しようとしていた店を立て直してくれてありがとうと金一封を頂きました。10万円入っていました。皆で分けて飲み会に使ってしまいましたが、その中で、理屈とか理論とかではなく、この店をなんとかしよう、この会社を絶対に俺達は立て直すぞ、利益を出すぞという一体感が結果を生み出したと思います。

具体的には何を行ったかといいますと、店内在庫を増やす事、アイテムを増やす事、スタッフさんのモチベーションを高く保つ事でした。

キャリアパスプランという人材育成プランを作りましたが、もう少し具体的に実施した事についてお話させていただきます。

例えば、お客様がカウンターに人気商品のドラゴンボールを3冊持ってこられます。今までは、「ありがとうございました」とは言うけれども全然感謝の気持ちも無くて3冊のドラゴンボールをレジで打つだけです。当時は200円でしたから、600円の売り上げです。ところが、バックヤードには先ほど買い取らせていただいたドラゴンボールの後の続きも紐でくくって埃だらけになってあるのです。

売り上げを上げなければ店が潰れてしまうという危機感が全員にありますから、ドラゴンボールを3冊持ってこられたお客様に対してすかさず、「お客様お時間ございますか?この残り5巻も続けてございますので、もしよろしければすぐに加工します」という言葉がすぐに出てきます。

そうすると、小さな店ですからその言葉を聞いていた他のスタッフがザーっと集まって手加工で加工してしまうのです。それで3冊で600円のところを、さらに5冊、すると1,600円の売り上げになる。「なんだ、あったんだ。この続き読みたかったんだ。5冊全部もらって行くよ」、ということになったりしました。

また、ご近所にお医者さんがいらっしゃいまして、そのお医者様が「何か面白い本はないかね?」と聞かれます。神田の古本屋で英英辞典を買わせていただいていました。見出しが金字で書いてあるような英英辞典は何十万円もするものなのです。私達からするとドラゴンボールの方が売れ筋なのです。

そういう難しい、硬い本は売れないという事で倉庫の中に積んであったのですが、お医者さんにしてみれば宝物なのです。「もしよろしかったら倉庫をご覧になりますか?」とご案内するんです。今までは、小売でよく聞く言葉は「申し訳ありません、出ているだけでございます」。言い方は大変丁寧ですが、要するに探そうとしないという動きです。「もしよろしかったら倉庫をご覧になりますか?」と言って、埃だらけの倉庫へ連れて行く。その院長先生はご覧になって、

「あ、これ良い物があるね。これいくらかね?」

「う~ん、さ、さ、3万円でございます」

「じゃあ、こっちの医学書は?」

「に、2万円でございます」

と、そこで5万円の売り上げが出ます。

「でも、いいんだけど、重たいから僕は持てないんだけれども」

「お届けいたします!ちょっと、配達してきます」

今までは、こんなこと思いもつかなかったことです。こういう事が積み重なりまして、売り上げがぐんと上がって、潰れかかった店舗が生き返ったということでした。

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そこで、キャリアパスプランという図をお渡ししていると思います。こういう風に、ある意味精神論的なことだけで人をずっと育成してきました。しかし多店舗化してきますと、加盟店様が沢山あるのですが、福岡も沢山の加盟店様がいらっしゃいまして、福岡は激戦区でありますので沢山のオーナーさんがいらっしゃいます。そういう風にご加盟いただいて、その中で人を育てる時にどんな風に育てていくかというのがキャリアパスプランです。

これは昔あったプランを新たに今春に開発した新キャリアパスプランです。この見方としまして、1から7まで7段階あります。何を頑張れば自分は次のランクに上がるのかが具体的に書いてありまして、それに沿って努力すればトレーニーから次のチャレンジャーCに上がれます。

当然これは時給のアップとリンクしておりまして、トレーニーから次のチャレンジャーCになると、地区によって時給が50円とか20円とか上がっていくシステムです。2号店の立て直しの時には、「一生懸命頑張れば上がっていける」という気持ちでしたが、精神論だけではダメだということでこのキャリアパスプランシートを作成しました。今は、これに従って時間を決めてあります。

一番下のトレーニーのところは30シフト、195時間で次のチャレンジャーCに上がれます。いつまでも経営者が「あいつは言う事を聞くから」とか「松田聖子に似ていて可愛いから」ということで決めているのでは、働く側はバカバカしくなって結局辞めていってしまいます。ですから、きちんとスキルの身についた、会社の基準に合った人達の時給を上げて店舗のレベルを上げていくのがキャリアパスプランシートです。

スタッフさんも社員も同様のシートを使って育成していきます。どこかでご覧になったことがあると思いますが、実はこれはマクドナルドさんのシステムです。銀座一号店を立ち上げられたマクドナルドの林先生という方がいらっしゃるのですが、その方に創業して間もなく、17、8年前になりますが、指導を受けました。その後、ブックオフのオペレーションに変えて、こういうものが出来上がってきました。

これをきちんと運営するかどうかでその店舗のレベルが変わっていくという自信作で、これに則ってやっております。30シフトでトレーニーからチャレンジャーCになれない場合は、教え方が悪いのか、その人に素質がないのかになります。ただ、トレーニーで素質が悪いということは、面接の段階で違う人を入れてしまったということになります。

具体的にこの内容に沿って、余分な事をせず、最初から難しいことをやらせずに、ただこれに沿ってやっていけば自然に育成されていく。そうすれば、店舗レベルも上がり、繁盛店になっていくというシステムです。

ちょっと余談なのですが、創業3年から4年目に、このキャリアパスプランを、コンサルを入れて本格導入しようという話になった時に、私を含めたパートや社員の人達が一斉に反発しました。システムアレルギーがありまして、「そんなシステムなんか入れなくても私達はスタッフさんにきちんと伝えていけます。こんなシステム導入は反対です。導入するなら私達は会社を辞めます」と言って、アルバイトさんとパートと総動員して、経営者に向かってクーデターを起こしました。

経営者は困ったと思います。これから多店舗化して会社を大きくしていく矢先に、今までの古株の人達が総動員で反対をするのですから。そこで、私は家に帰りまして、企業戦士として戦っている主人に、「ねぇ、お父さん聞いて。こんなことを今会社でやろうとしているのよ。こんな人が人を評価するなんておかしいわよね、もうやってられないわ」と愚痴っぽく、同意してくれると思いつつ言いました。

そしたら、「お前、会社が将来に向けてのプロジェクトを中止するっていうのはどういう事か分かっているのか。そんなことも分からないなら、会社なんか辞めてしまえ。会社に迷惑がかかるんだから」と一喝されたのです。

「え、賛同してくれるんじゃないの?」と思ったのですが、「だからお前は馬鹿なんだよ、会社に迷惑がかかるだろう」と、私は叱られてしまいました。

それで、次の日出社して、「申し訳ありませんでした。昨日主人にこう言われました。私が間違っておりました」と言いましたら、「良いご主人だね」と言われたのを覚えております。このように、会社を大きくするためには、拒否反応を起こすことなくプロジェクトを進めていかなくてはならないと主人に教えられた事もありました。

また、ブックオフは年功序列ではありません。男女の区別も無く、仕事の成果に対する報酬は次の仕事があるということです。次のやり場があって自由にやらせてもらえる。それから、誰かの役に立つという思いがあるという事が全てです。

ただ、まずい事が起りました。学生は、学校へ行くよりもアルバイトの方が楽しくなりました。主婦は、夫の世話よりもアルバイトが楽しくなりました。そんなスタッフが増え続けました。10円、20円、30円で買わせていただいて、100円、200円、300円で売ると、そんな風に汗をかいて走り回り、埃だらけになって加工する。これは全てパート、アルバイトのやる気と、それを店長や上の者が認める一体感が会社を大きくしていくことに繋がると思っております。

ブックオフがこれまでやってこられたのは、パート・アルバイトさんに支えられてきたからだと思います。今は派遣切りだとか、雇用状況の悪化など企業は厳しい状況ですし、私達も少しも休まる時がありません。株価も下がっておりますし厳しい状況が続いておりますが、そこで働く人達が経営者に、アルバイトさんだったら店長や経営者に、大切にされていると感じられれば、そのパワーが発揮されると思います。

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91年の8月に、もっと働きたいと思いました。扶養の範囲という壁がありました。綺麗事に聞こえるかもしれませんが、お金というよりもっとやりたいと思いました。社員になれば一生懸命働いても良いということで、「私、社員になります」と自分で言いだして社員になりました。

94年には、取締役になり取締役店長として研修そしてスーパーバイザーも兼ね、自分で言うのもなんですが寝る間も惜しんで良く働きました。

年末に除夜の鐘がいつ鳴ったのか、紅白がいつ始まったのか、また、家にある小さなしだれ桃がいつ散ったのか、梅がいつ咲いたのか…毎日玄関を出ているのですから目に入っているはずなのですが、全く頭に入らないほど夢中で働きました。でも、大変充実して楽しい日々でございます。

ブックオフが創業して10年、約10期です。2001年の時の話ですが、7月7日当時の新聞を探しましたら出てきました。ブックオフがマイナス8億、初の赤字決算と2001年の七夕の日に掲載されました。マスコミは大変リアルなものでありまして、この後もマスコミについて色々とお話しさせていただこうと思っているのですが、役員でありながらも相当にやばいということを改めて目の当たりにしました。出勤前に家でその新聞を見まして、体の震えが止まりませんでした。会社が潰れると。

ブックオフは順調に伸びていたんですが、ブックオフで稼いだ利益を、本だけではどうなるか分からないということで99年から始めた第二の新規事業、いわゆる子供用品、婦人用品、スポーツ用品などのリユース事業の立ち上がりが難しく、不振が続いておりました。

月曜日の朝、毎週会議をするのですが、私は新規業態の業績についてはある程度把握しておりました。ブックオフ事業は毎月利益を十分上げていましたし、私も八王子堀之内店でたっぷりと利益を出して威張っておりましたので、リユース事業に対して何をやっているのか、もっときちんと利益を上げられないのかと、人ごとのように思っていました。

月次決算を示す数字の横には、マイナスを示す黒い三角がずらりと並んでおりました。本当にいい加減な役員なのですが、ボーリングのスコアみたいと呑気なことを思っていました。

ここに関係者がいらしたら大変申し訳ないのですが、金融機関さんというのは傘の欲しい時には傘を貸してくれないとよく言う感じで、「そろそろ本業に戻られたらどうですか」と言われ、5,000万お借りしたいと言った所に、5,000万積んだら貸してあげても良いと言われます。積むお金が無いから貸して欲しいと言っているのに。

また、3年間で借りている所に、1年間で返すようにとか、返せないから3年間にしたのに返せと言われます。関係者がいらしたら申し訳ないですが、警察も税務署も怖くはないけれども、そういった金融機関さんの何と申しましょうか、態度には大変恐怖を感じました。ここで見捨てられたら会社はどうなるか分からないという瞬間がありました。

そんな中ある金融機関の支店長さんは、「俺はね、何にも心配してないよ、橋本さん」と言われた事がありました。なぜかというと、会社というのは順調な時には皆結局慢心してしまって、良い事ばかり言って邁進してしまう。経費もどんどん使う。でも、会社がやばいという時には、皆が引き締まる。だから、今は皆がすごく必死でやろうとしているのだから俺は何も心配していないと、ある支店長から言っていただいて、その方のおかげでやっぱり生き延びられたのかなと思っております。

どうしよう、どうしようと纏まらない考えが堂々巡りしていたのですが、私は大それたことを思いつきました。私がやってやろうって。新規事業に入ってなんとかしてやろう、真剣になればやれない事はないと。不安な気持ちを押しこめて決心いたしました。

本・CD以外の事業を立て直すなんて私には全然自信はなかったし、経験もありませんでした。でもやらなければ会社は潰れるという一念だけで、2001年11月から私は本以外のリユース事業の現場に乗り込む事になりました。

中古でも何でも、本やCDには価格が印刷してあります。ゴルフ用品にタグをつけて使ったり、ベビーカーに値段をつけたまま使う方はいらっしゃらないですね。それらを買わせていただいて、当然加工して、販売させていただくことの難しさがあります。

子供用品では、私の子育てした頃は「乳母車」と言ったのですが、そう言ったら笑われました。今は「ベビーカー」と呼ぶのですが、「ベビーカー」の中にもA型、B型とあります。子育ては経験していますけれども、そういった知識が何もないまま乗り込みました。

多摩永山店という今はたっぷりと利益を上げているところなのですが、6業態あります。スポーツ用品、貴金属のセレクト、キッズ、ブックオフ、生活雑貨のライフなど6業態が多摩永山にあります。全体を変えるというより1業態ずつの方が良いということになり、キッズ事業部に入りました。私一人では無理でしたので、信頼できる社員とともに飛び込みました。

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その時の現場の様子を振り返ってみると、まず、毎朝行われている朝礼で、「橋本です。皆で一緒にここを立て直していきましょう」と言いました。するとスタッフさんが私に向かってきっぱりと言いました、「私達のやってきた事を否定しないでください」。強烈な先制を受けた感じです。否定しなかったら、変わっていかないのです。

これは最初からの反発の芽でした。一言で言えばその店は制御不能に陥っていました。ポイントが3つありました。

一つは、人件費の垂れ流しが起きていました。キッズ事業部のスタッフはパートの主婦を中心として20人でした。子供用品に馴染みのある、小さなお子さんがいらっしゃる方達です。それは勿論良いことなのですが、シフトがめちゃくちゃでした。どうにかしなければなりません。

例えば、朝10時から、子供が幼稚園から帰るまでの2時間だけ働きます等、自分の都合でシフト表に勝手に書きこんでいました。お客様が殆どいない平日にはスタッフが6人も7人も2時間ずつ入っていたり、一番混雑する土日にはスタッフは1人か2人しかいないという風にチャンスロスが起きていました。

店舗にもよりますが、平日と週末の売り上げ指数は2倍から、本当の地方に行けば3倍になるところもあります。駅前店立地は1.5くらいです。スタッフの比率もそれくらいなければいけないのに、全くそれと逆の事が起きていました。

これはひどいと思いシフト表を適正人数に書き変えておくと、「あら、私のシフトが消えてしまっているわ」と言いながら勝手に書きこんでしまう状況で、全くシフトコントロールができていませんでした。それでパソコンでロックをしたり等、書きかえられない工夫をしました。

二つ目の原因は、人件費に加えて宣伝広告費も垂れ流しでした。「たまごクラブ」・「ひよこクラブ」をご存知でしょうか。毎月(広告を)掲載しますと1誌で80万円くらいかかります。本と違って、洋服・スポーツ用品・雑貨などリユースの商圏はかなり広いものになります。本・CDに比べると広いので、雑誌に掲載するのは間違いではありません。ただし、赤字が出ているところで何誌にも掲載する場合、費用に見合った効果が出ているとは到底思えませんでした。

また、売り上げの数字が落ちてくれば、「半額セール」で全品半額にしていました。殆ど中古を扱っていたんですが、売り上げが欲しいばかりに630円で紙オムツを仕入れました。630円で仕入れて650円でオムツを販売しているのに、土日全品半額セールです。お客様は箱で買って行かれました。これでは売れれば売れるほど赤字になります。粗利を考えないセールの乱発が3つ目の原因でした。これでは絶対に利益は上がりません。

コントロールしてこなかった責任は店長にありますが、店長にも気の毒な部分がありました。本来なら、新規事業には会社の中で最高の実力がある人を充てなければならないのに、当時私たちはそういった配慮をしていませんでした。これは恥ずかしながら私自身がリユースに飛び込んで始めて気付いたのですが、合同店長会議を行うと、壇上からブックオフ事業のことを「本体」とか、「本業は」とか呼ぶのです。そうすると、本・CDは本業であって、それ以外の物は裏業なのかと思わせます。

要するに、ブックオフできちんと仕事ができないから、それ以外の部門に左遷されたといった感覚を持つような人事をしていました。これでは拗ねたくもなります。店長本人も左遷されたと思ってモチベーションが下がったまま仕事をするわけですから、店長はモチベーションが上がらないままというような人事配置をしていました。

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それから、申し上げたように、中古書籍販売とは違った難しさがありました。本の場合は買取をして、研磨機や洗浄機で拭けば加工完了します。そして定価に沿った価格を付ければ良いので、CDですと早ければ5分でケースに入れるまで完了します。

しかし、例えばベビーバスなどは湯垢がついています。これを一生懸命擦ってきれいに湯垢を取って、水拭きをして、これで700円とか400円という値段がつきます。たいへん手間がかかります。洋服でも、新生児から10cmきざみで70cm、80cm、90cm。ボタンはあるか、汚れはどうかとチェックするのも大変です。

そこで、まずは粗利を安定させるために簡単な決めごとをしました。いくらで仕入れたものは、いくらで売ると買取の段階で決めて、粗利を安定させました。皆で一斉に加工をするというブックオフ方式の加工方法に変えたりもしました。

また、売り上げを上げるためだけの安易なセールもやめました。当然売り上げ自体は減りました。1,400万円ほどあった売り上げが1か月で1,000万円ほどに下がりましたが、セールを止めたり改革したりした事により、緊急手術的に赤字は止まりました。12月には差し引きで収支がトントンまでになりました。

それでもなかなか解決とはいかず、人に辞めてもらうという事にまでは手をつけたくなかったのですが、どうしても上手くいかなくなりました。ある日、お客様がペットボトルの上についているフィギュアを持ってこられました。中には非常に価値のある品もあるのですが、あまりにも在庫が増えたのでフィギュアの買取をやめていました。

あるスタッフが、持ってこられたお客様に向かって「私達は買取を続けたいんですけどね…(チラッと私達のほうを見て)上の者がダメって言うから買えないんですよ」というカウンターサービスをしました。

これではダメだ、思いが伝わらないと感じ面談をしました。一人ずつ面談を行うなかで、どういう風に考えているかと聞きました。

結果、三つのタイプに分かれました。

まず、こんなに頑張っているのにどうしてあんな事を言われなければならないのかと反発する人。

2番目は黙って下を向いてしまう人。

3番目は、私もおかしいと思っていたので一緒に立て直したいと言ってくれる人。

そこで、一緒にやりますと言ってくれた人に残ってもらう事にしました。結局20人いたスタッフで残ったのは6、7人だけでした。あとの方は、やはり一緒にやっていけないという事になり辞めていただきました。血も涙も流しました。

社員の人が朝から一緒に店舗にいるのは初めてですという人がいまして、汚い店舗もめちゃくちゃなシフトも、そういう店長を配置した私達に責任があるし、教えてこなかった経営者側の責任だと思いました。私達がそれに気づかず、そのまま変えなければ会社を潰していたかもしれないと非常に怖い思いがありました。

その多摩永山店は毎月1,000万円の赤字を出していましたので、年間にしたら1億円の赤字でした。それが、12月でトントンまでもっていきましたし、各業態もそのような形で直していきました。1月効果というのは先ほど2号店のところでもお話ししたようにかなりの異常値を出す月ですが、1月に1,000万円の単月黒字を6業態で出す事が出来ました。

1,000万の赤字から1,000万の利益ですから、それをグラフにしますとVという時になります。金融機関の方からV字回復ですねと言っていただきました。ここで私は初めてV字回復と気付いたのですが、社員とスタッフの気持ちが一つになり人の力が爆発した瞬間に立ち会えたことは、私の財産になっています。

この後、パートから社長にならせていただいた話をさせていただきますが、1時間経ちましたので5分休憩をいれさせていただきます。

(休憩)
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パートから一部上場企業の社長へというお話を少しさせていただきます。2006年の5月16日のことです。役員会で私が社長になることが決議され、その日の午後5時頃にプレスリリースで発表されました。取材の問い合わせが何件かありまして、広報のほうから「橋本さん、明日は取材がありますので白髪染めをしてきてください」と言われました。

次の日、美容院に行って白髪染めをしておりますと、「何をやっているんですか、早く帰ってきてください。1社ずつ対応できないので、まとめて記者会見します」と言われました。もちろん記者会見など初めてのことで、コチコチに緊張して会場に入りました。

いつも会議をする会場が記者会見の会場になっていました。下を向いて入って、そうっと目を上げますと、目の前にマイクがありまして、椅子に乗ったカメラマンの方達が沢山いました。「うわぁーテレビと一緒だ」と思いました。

テレビとか新聞等で、主婦のパートから一部上場企業社長というのが余程の話題性があったのでしょう。本当に沢山の取材を受けました。100社くらいは覚えているのですが、ずっと取材をしていただきました。

そんな中、私には変な弟がおりまして、タレントをしている清水国明という弟ですが、私に言ったことが二つあります。「おねえちゃん、マスコミはちやほやして持ち上げても、何か悪い事があるとドンと落とすからな。調子に乗るなよ」と言うんですね。あの人に調子に乗るなとは言われたくないのですが。

もう一つは、「取材の相手によって態度を変えるな。NHKさんだろうが小さなコラムだろうが、同じ受け方をするように。偉そうにするな」。本当に言われたくないんですが・・・コツコツやることしか能がなかった私ですから調子に乗る事はないはずなのですが、弟が心配していたことがまさか本当になろうとは、その時は想像もしませんでした。

ちょうど社長になって1年の2007年5月中旬に、ブックオフに関する悪い話が週刊誌に取り上げられ、会社はパニックになりました。社長就任の時と同じようにマスコミが押しかけてきました。昼も夜も電話がきたり記者が家に直接来たりして、都内のホテルに避難することになりました。

私が家に電話して主人に、「お父さん、誰もいないよね?」と聞くと、「家の近くの電信柱に隠れて一人いるよ」という風で、それでも主人は対応してくれていました。社員が心配して家の近くまで車で来てくれて、荷物をまとめてホテルに行こうと思ったのですが、頭が回りません。

とにかく、5月でしたが私は寒がりなので、セーターか何かを詰め込んだように思います。孫の写真が目に入り、わけが分からないままセーターと一緒に写真立てを入れました。そして、ホテルに入りました。現場の店長やエリアマネージャーからはメールが入り続けました。

「現場は俺達が守るから、橋本さんは安心していていい」。泣いている私に多くの社員がメール、ファックスを送ってくれ、色紙を持って来てくれたりもして、多くの社員がずっと付いていてくれました。2号店の立て直しの時と同じですが、違うのはそんな社員が全国に沢山いてくれたということです。それがなかったら私は今ここには居なかっただろうと思います。

そんな時会社に残っていた社員から電話が入りまして、「帰ってきてください。会社にいてくれないと、どこかに行ってしまうようで不安なんです」と泣きながら言われました。家で黙ってマスコミ対応をしていた主人からも言われました、「悪い事してないんだろう、堂々と帰ってこい」と。

ふと、私は何におびえているのだろうと思いました。会社や店舗では、当時は、600名の社員と6,000名のスタッフがいました。今では直営店だけで1,000名の社員と10,000人のスタッフがいます。きちんと会社を守ってくれているのに何が怖いのだろう。社内に調査委員会が発足しまして、そこではっきりすることなのだから、素直に正直に話せば良いのだと気づいたとき、ホテルを引き揚げることにしました。そして臨時取締役会を開きました。

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知らなかったとはいえ、売り上げをあげるよう現場に大きなプレッシャーをかけていた事実がありましたので、私は代表権を返上して社長を退き取締役会長になりました。そして、新たに社長になった佐藤は一からやり直そうとスタートを切りました。

2008年3月は新体制として初めて迎える決算月でした。期首計画として42億円を最初に出していました。右肩上がりで伸びていた時です。しかし、そういう事があり下期に入り、25億円に下方修正して出しました。それを達成できるかどうかは創業以来の大きな危機でした。

下方修正発表後、株価が一気に下がりました。2,200~2,300円あったものが400~500円まで下がりました。社長の佐藤が、下方修正のため東証へ行ったときのことを後で話してくれました。東証へ入る時は当然タクシーを使えませんでした。カップラーメンのお湯はコンビニで入れてくる、トイレットペーパーは1枚と2枚のものとどっちが得かなど節約していましたので、彼は駅から歩いて行って、公園で煙草を一服してから、代取として責任を負って東証へ入ったと話してくれました。

そんな風にコミットした経常利益25億円をなんとか達成しなければと動いたはずなのですが、更にお客様が減りました。当然、カードを変えたということもあったのですが、25億円さえも達成できないかもしれないという状態になりました。

年明けがすぎて3月が決算月ですから、そこでも結構リアルな数字になり、何というか悪い方悪い方へのニュースが続きました。例えば、払っていたはずのものを実は払っていなかったとかです。

そして、もう駄目だ、これ以上負荷をかけるわけにはいかない。寝ないで休まないで社員も働いている。この計画は最初から無理だから今期の達成は諦め来期は絶対に頑張ると役員のなかで決まりました。そして、役員4人でそのことを社長の佐藤に伝えに行きました。夜の8時でした。佐藤は都内で仕事をしておりましたので、相模原から東京へ向かいました。

なんとか社長をつかまえて役員達がその事を伝えようとやってきたところ、佐藤は何かを感じたのでしょう。佐藤はすごく怖い顔で一言も話さず、私達の車に乗り込んできました。誰も一言もしゃべらず、佐藤はシートベルトも締めないままでしたが、誰も締めるようにも言えないままで、ただシートベルトの警告音だけが鳴り続けていました。やっとファミリーレストランに着き、朝から誰もろくに食べていませんでしたのでカレーを頼みましたが、誰も手を付けないままでカレーは冷めていくばかりでした。

「実は無理だと思います」と、できない理由をたくさん並べました。私達は25億が無理である理由を並べたて、社長の決心を促すよう詰め寄りました。

そのとき、佐藤が「約束したことは守りたい」と静かに言いました。「宣言した事は何としても守る。例えば、もう絶対遅刻はしませんと言った店長が、すみませんまた遅刻しました、と言ったら、信用はそこで終わりだよ。ブックオフは約束を守れない会社だと言うレッテルを貼られる。きちんとした理由があるのなら方向を変えてもいい。でも、ここで出来ないと諦めたらズルズルと25億どころか23億も出来ないかも知れない。そうしたらもう会社は終わりだ」。

私達が無理だと考えていた思いよりも、決めた事をやり抜くという佐藤の思いのほうが深く、強かったのです。

夜が明けて白みかけた東名を走りながら、私達は気持を切り換えてやるしかないとスッキリしていました。やるのであれば、現場だけに負荷をかけるのではなく本部も一緒に全社で動かなければできないと思い、それから2時間ほど家に帰ってシャワーを浴びて本部に戻り、招集をかけました。現場の責任者も集めまして、佐藤の思いを佐藤に自ら語ってもらう場をセッティングしました。皆が一緒に行動しなければ成功しないし時間がないと焦りました。

共通言語は「息継ぎしないで泳ぐ」でした。息継ぎしなければ死んでしまうのに、その政策についてどんなことでもいいから書きだして佐藤に語ってもらいました。私には、現場の力を最大に発揮させるためにずっと信じている肝の部分があります。それは共有するということです。

泥沼から這い上がる時も、崖っぷちに立たされた時も、そのこと自体を共有して力を出し合って切りぬける。一人ではできない事も力を合わせれば大きなパワーになる。創業の頃からの解決できた経験が色々な場面でありましたので、今回も共有することが大切だということを証明する瞬間がありました。

佐藤が話し終わった後に、「佐藤さんが、僕らにまで頭を下げて、全部話してもらって、大変だけどすごくやりがいがあります。今、すごく楽しいです。会社の危機だけど、すごく楽しいです。やりますよ!自分の事業部で!」と、皆が口々に言い切りました。経営者と同じ気持ちになって店舗運営に参加してくれている、社員とアルバイトの意識のレベル、これが立て直すことができた強みだと思っています。

それから会社の動きはぐんぐん進み、文字通り地を這うような毎日でした。結果として、第18期は経常利益25億円を達成することができました。あのときに達成できなかったら、会社の未来はなかったと今も思っています。

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これからのブックオフについて少しお話をさせていただきます。2009年3月期のブックオフ・コーポレーションは、26億円です。カードの表示もありまして前年よりも1億円ですが、実際の中身はもう少し多い数字になります。26億7,000万円の利益を出しまして、その次の期には、29億の目標に対して31億の結果を出す事ができました。そして2011年3月期は、今、36億の計画に向かってやっております。

本当に電子書籍が出てまいりました。そして、中古の競合。新刊書店が中古をやるという話も出てきました油断は許されませんし、会社一丸になって戦っている真最中であります。電子書籍についての私共の考え方といたしまして、私達の敵はiPadやiPhoneではありません。電車に乗った時に、殆どの方が携帯やiPhoneを片手に、またiPadをやってらっしゃる方も見かけます。

そういった、携帯を操作する時間や、釣り等の楽しいゲームを携帯でする時間です。そういうものに時間を取られてしまっているのです。本を読んでいる人は何人くらいいるのかと、最近数えてみたりするのですが、1つの車両の中に二人だけということもありました。それ以外の人達は皆さん電子機器を操作しています。

iPadが敵というより、そういうものを操作する時間を取られてしまっているのです。限られた1日の時間の中で、電子機器で釣りをやったり、ゲームをやったりして時間を取られてしまった方が、本屋さんに行って本を買う時間はありません。

ですから、私共の今の敵は、そういう電子機器を使うことで時間を取られてしまうということなのです。佐藤が言っていることなのですが、もし電車の中で電子機器が全く使えなくなったら、仕方ないから漫画でも買おうかということになるでしょう。そうなったら、ブックオフの本が売れるようになるかも知れませんが、今のところ「時間」が我々の敵だと思っています。

しかし、そうは言ってもブックオフはグループとして生き残っていかなければなりませんので、大変厳しい時代に入っております。「捨てない人のブックオフ」というリーフレットをお渡ししましたけれども、これについては、私は恥ずかしながら「自分さえ良ければいい」と思っていた時代がありました。

店舗で大きな利益を出していた頃は、自分の店舗さえ利益を上げればいい、もっと言えばブックオフさえ利益を出せばいい、他の企業よりもうちが生き残ればそれでいいという感覚がありました。だからこそ、ああいう事件が起きてしまったのかなという思いもあります。そういうことでは、世界では認められない、会社は生き残っていけません。

エコとかよく言いましたが、本当の意味で環境を良くして行こうと心から思ったかというと、そうではありませんでした。私の中では、ブックオフさえ生き残ればいいという感覚が、役員でありながらもやはりあったと思います。

しかし、そのようなことでは世間で認められないし、役に立たない企業は絶対に淘汰されていく事を思い知りました。そんな事もありまして、来ている服などを捨てるくらいならブックオフへ持っていこう、また、子供が大きくなっていらなくなったオモチャは持っていこうという、「捨てない人のブックオフ」を企業のミッションとして掲げさせてもらっています。

例えば、クロネコヤマトの宅急便、佐川急便や日通さんもありますが、何か荷物を送る必要があればすぐに宅急便に持っていこうと思う、これをインフラと呼ぶようです。水道は水が出るのが当たり前、電車は通っているのが当たり前であるのと同じく、捨てようと思うものはブックオフに持っていくのが当たり前という「インフラ企業」になりたい、世の中のお役に立てるようになりたいと、今私どもは進めております。

テレビCMでも、高齢者と言いますか、私も高齢者の一人ですが、中高年層を中心に、今まであまり来ていただけなかった客層も増えてきております。そういったインフラ企業としての道を今後歩んでまいります。

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このパンフレット、ツールの後ろにQSC基準があります。どきっとするようなサービスがあります。今まで出来ていたことが出来なかったとか、とんでもないクレームが多くなってきています。どうして出来ないのか、やらないのかと怒ってばかりいます。しかし、怒っても改善できなければ意味がありません。店舗のレベルをこの基準に沿って何がレベル1なのか、2なのか(を決めます)。

例えば、カウンターの中に段ボールがあるということだけでレベル1です。「出し切り」というお客様から買わせていただいた商品がその日のうちにきちんと売り場に出ているかどうか、また、PAリーダーがきちんと育成されているかどうか、必要原価分は出ているかどうかが、レベル2、レベル3、レベル4と考えています。ここに来る前に少し時間があったので博多駅前店に行ったのですがレベルが高く、3くらいにはなっていると思います。

あなたの店は今レベル1なのだから、レベル2に上がるためにこれをしなければならないという基準表を決めたものです。ただ怒るだけではなく、精神論でもなく、私がよく真似をされる、「何やってんのよ」とガミガミ言うだけでもなく、基準レベルに沿った店づくりをするということが全国1,000店舗のレベルを上げる事です。それを行うためのツールです。

さて、私達は上手く行っていると思っても、実際行ってみるとなかなか改善できていない。信じられないようなクレームがあったり、サービスレベルになっていたりします。これは、私が現場に自ら入ってやるしかないと思っています。店舗の回りに草がたくさん生えているところがあります。

この暑い中、熱中症注意地域といって、過激な労働をしてはならない地域が埼玉地区にあります。それなら朝早く行けば良いということで、朝早く本部を出発して、私はマイノコギリを持っているのですが、帽子もかぶって草刈りに行きます。そうして、草取りも、出し切りもやってみせます。店長やスタッフが「あ、まずいな」と、本部からもあんな風にやってきてくれているのだからと気付いてくれるかと思い、本部総動員で現場に出るようにしています。

明日も神奈川県の戸塚オリンピック店に朝から入る予定ですが、黙って突然行くのです。店長が「あ、来ちゃったよ」と息をのむ瞬間が私はとても楽しみです。「やべぇ、来ちゃったよ、橋本さんが」と言うのを楽しみにしているので、ここだけの話にしておいてください。

2年前に大きな挫折を味わって、追われる人生から攻める人生に変わりました。ブックオフでなければ出来ないこと、他では出来ない現場力、社員やスタッフの現場力の集大成の手ごたえを今感じております。私どもの大株主が創業者の時から変わりまして、昔は考えられなかった、講談社を始めとする三大出版社にブックオフの大株主になっていただきました。今までと同じ考え方をしていては取り残されてしまいますので、変わる事を恐れず改善をしていきたいと思っております。

ただし、105円の文庫や子供服を汗と埃にまみれて丁寧に売る事を忘れてはなりません。

ここまでのまとめと致しまして、現場力として私はスタッフ・社員のモチベーションが一番だと思います。2番は共有する事が大切です。3番は、新規事業こそ最高レベルの人を充てること。4番目は、努力の方向性が見えるキャリアパスシートです。どんなに頑張って、40歳、50歳になってもここで同じ仕事していると思わないよう、また、子供さんが中学高校と成長していくと共に(自分の)将来が見える人材育成のために、何をどう頑張れば上に上がれるかを見せるキャリアパスプランシートや、どこを直せば良いかが見えるQSC基準、そういったツールが必要です。以上をまとめとさせていただきます。

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少し私事の話をします。去年の9月に主人が亡くなりました。ちょうど去年の5月に、前日までゴルフに行っていた主人を朝起こしに行きましたら、「子供達を早く起こせ」と言うのです。子供達といいましても、娘二人はとうに嫁に行って私とずっと二人の生活ですから、寝ぼけているのかと思いました。

でも、その時はとっさに「何言ってるの、お父さん」とは言わずに、「まだ寝てるのよ」と言ってしまったのです。すると、「しょうがないなぁ」と言うんです。そのことがあり、「あれ?」と思い、その日は会話の中でも「え?」と思う事がありました。

そして翌日、どうしようもなく不安で、一番先に考えたのは若年性認知症でした。62歳でしたので可能性はあると思いましたが、これからどうしようと、どうしようもなく怖い思いがしました。もしそうだとすると、長期戦で考えなければなりません。しかし、前日までグリーンを回っていたのです。

そこで、近くの北里大学病院に受診をいたしました。その日のうちに即入院でした。脳に腫瘍があるようだと分かりまして、余命半年と言われました。脳の癌は細胞分裂が早く、もう手術も無理だということでした。脳幹と言われる脳の真ん中に癌がありました。さて、どうしよう。会社を辞めて看病に入らなければならないと悩みました。会社を辞めるべきかどうか。

大学病院でしたから完全看護ではありましたが、夫婦ですから主人を見守るのは私の役目です。社長と専務にそれを相談しました。会長という立場なので、例えば、週に1日でも会社に来れば勤まるのだと、思い切り看病をしてやってくれ、辞めることは考えなくても良いと言ってくれました。

私としては仕事に対する魅力と同時に治療費を賄うという生活の糧のこともありました。ですから、なんとかしばらく続けさせてもらおうと思いましたが、9月14日の朝会議をしておりましたら、秘書の方からメモが来て、意識が無くなったようなのですぐに北里へということですぐに向かいました。それから何日間かの間に相当に危険な状態になると言う話でしたが、あれよあれよという間でした。

長女が千葉から向かう間も、「娘さんはどこですか?」、「葛西まで来ました」、「無理ですね」という風にして、最後にも間に合わず、「待って、待って」と叫んだのですが9月14日の5時にさっさと逝ってしまいました。ずいぶん潔い別れですねと先生がおっしゃいました。

先週、一周忌を福井の実家で行いました。キャリアパスプランのプロジェクトを「そんな考え方でいるなら会社なんかやめてしまえ」と怒ってくれたり、また、マスコミが来た時に家で私の留守に対応をして守ってくれたりしてくれた主人だったのですが、さっさと逝ってしまいました。そのうちに、二人で温泉でも行きたいと思っていました。「まだまだ会社は忙しいし、今はまだやるべき事がいっぱいあるから、お父さん、そのうちに」と。

(主人は)会社は定年まで2年くらい残して退職していたので、そのうちにと思っていたのですが、「そのうち」が無くなりました。皆さまも、そのうちにと思っている方がもしいらしたら、今のうちに。「そのうち」が必ず来るという保証はないと思いました。亡くなりまして、仕事を残してくれたのだと、とにかく、朝早く面会に行って、ちょっと看てまた戻ってと、なるべく休まないようにしていました。

看護婦さんに、「奥様帰られましたねと言ったら、『帰っちゃったんだよ~』と言ってらっしゃいましたよ」と言われました。それから、病室は7階でしたので私は車を7階の目の前に止めていました。「お父さん、私の車はあそこに止まっているからね、じゃあ、帰るから」と言って出ました。

その日、ベッドから出て窓際で倒れていたそうです。これは私の勝手な考えなのですが、きっとベッドから出て車を見ようと思ったのかなと。これは主人にも聞いていないし分からないのですが。それからは動くとまずいからと固定されてしまった時もありました。

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湿っぽい話ばかりですみません。(主人は)私に仕事を残してくれたのだと思います。今、仕事があるから、残してもらえて良かったと感じます。ここにいられるのは、その時に(主人は)寂しかったでしょうが、今私には仕事があるので、忘れることはないのですが、生き残れています。

主人は朝は5時にいつもゴルフに出かけていました。ガタッと音がした時に、「あ、今ゴルフに行くんだ」と分かります。何度もバタバタ音がして、車のドアをバタンと閉めて出ていきます。今も、5時に音がすると「今、ゴルフに行くんだな」と思っても、すぐに「あ、そうだ、いないんだった」と思ったときの寂しさはすごいものがあります。

ゴルフばかりが好きで、「私とゴルフとどっちが大切なの」と私は責めていたのですけれども、亡くなってから、家にあるゴルフバックをどうしていいか分からず、処分してしまおうかとも思いながら置いていました。

今、Bスポーツ事業部という、先ほど出ました多摩永山店でゴルフのMD政策をやっています。MD政策というのは、マーチャンダイジングで売るのではなく、大量にシンプルに加工して売ればよいとして、量で勝負する政策をとっていました。ただ、ゴルフも、それぞれの品物のメーカーや質を明確にする政策をとろうということになり多摩永山店で行っています。

私は、主人のゴルフバックをどうしようかと悩んでいました。その時に、Bスポーツ事業部で商品に力を入れて展開していました。しかし、MD政策の商品が足りない、業者から仕入れても面白みがないという話でした。主人が倒れる前日まで使っていたゴルフセット一式は、目にしたくもないものでしたが、とりあえず持って行きました。現場で、場所ふさぎにでもなればいいという感覚で持ち込みました。

使い込んでいるので、私には大切な物であっても商品としては値段が付かないと言われることを想定していましたので、スタッフさんにおずおずと差し出して、「使えるんだったら使って、使えなければ捨ててもらってもいいし、持って帰ってもいいわ」と言いました。査定終了の結果を聞いて驚いたのが、77,000円という価格でした。ゼロでも仕方ないと思っていましたが、思わず高い値がつきました。

皆は会長価格ではと言っていましたが、担当者は「このゼクシオというブランドは人気があるんです。サウスポーは品薄で、10個あったらそのうち1個しか入ってきません。とても助かりました。バッグも同じブランドで、良い物を使ってらっしゃったんですね」と言ってくれたのです。1本、1本丁寧に説明をしてくれました。私は、7万円ももちろん嬉しかったのですが、まるで主人を褒められているようで誇らしくなりました。

ですから、MDには反対していたのですが、商品知識を身に付けた店舗のスタッフさん、そして、商品についての説明を「サウスポーは品薄ですよ」とか、「このメーカーは….ですよ」とか市場での話をしてくれると、売りに行った人はすごく嬉しいですね。金額も嬉しいのですが、気持ちを豊かにしてくれるMD政策を早急に導入しなければならないと、疑問符のついていたMD政策をブレーキからアクセルへとシフトしました。

今、その7万円はお仏壇に供えまして、MDをBSB:ブックオフ・スーパー・バザーと呼んでいますが、更に強い業態にしていこうと思っています。皆さまの中にもお売りいただけるゴルフ用品がありましたら、是非お売りくださいませ。

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最後に、私は役員の端くれとして言わせていただければ、会社を潰すわけにはいきません。ブックオフに関わっている沢山の人を路頭に迷わせるようなことはしてはなりません。気は休まりません。一般には、株価を見て仕事をするなと言われますが、ここのところ大きく株価を下げましたので、やはり気に��%A

添付資料(印刷用にご利用ください)

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講師:橋本 真由美(はしもと まゆみ)

ブックオフコーポレーション(株)取締役会長

一宮女子短期大学家政科卒業。1990年 ブックオフ直営1号店にパートとして入社。1991年 パート店長から正社員に。1994年 取締役、2003年 常務、2006年 代表取締役社長兼COO就任、2007年より取締役会長。

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