まず経営者が変われ! どん底の事業承継から企業再建への軌跡(2010/09/27開催)
父親が創業した滋賀ダイハツ販売株式会社を業績不振(6億円の赤字)にあえいでいた時期に「事業承継」し、自らが先頭に立ち、心血を注ぐと共に「二位から下は全て敗けだ!」、「赤字は一カ月も許さない!」を叫び続け、自社を業界のトップクラスに再建するまでの体験談の講演です。
本文の後ろに添付資料がございます。印刷してご利用ください。
皆さん、こんにちは。昨日はソフトバンクが優勝しまして、大変おめでとうございます。私にとって、福岡は第2の故郷でございます。実は、中学、高校は佐賀県の学校を出まして、18歳で初めて就職しましたのが、須崎という場所の問屋街の、ある小さな商事会社でした。ところが、私が入社して3年目に、その会社が不渡りを出し倒産し、私はクビになりました。そして、失業保険を貰わなければならないという破目に陥ったのです。

ですから、次に勤める時は、そのように潰れる会社に入りたくはないと思っておりまして、今度はメーカーなら潰れないだろうと思い、大阪に出て、大阪のある鉄鋼関係のメーカーに就職しました。
私は、メーカーならば潰れないであろうと思っておりましたが、そんな事はありませんでした。やはり、このメーカーも私が入社して2年目に不渡りを出し倒産したのです。私が入社すると倒産するのです。そのような事を申し上げると、運の悪い奴だなと思われるかもしれませんが、私は大変ラッキーであったと思っております。どなたもそういう体験はないでしょう。
しかし、私は2回も倒産会社に入った体験を持っております。それが、何故ラッキーなのかと申しますと、その時は下っ端でしたので、私は下から上に立っている人が、どういう事をしているかという事を見ておりました。下から上を見ていますと、上に立っている人が行っている事がよく見えるのです。
ところが、上に立っている人は、部下がたくさんおりますから、部下の1人1人の事はほとんどわからないのです。昔のことわざに、「下は3日にして上を知り、上は3年にして下を知る」というものがありますが、まさにその通りでございます。私も下っ端でしたので、上に立っている人がどういう事をしているのか、どういう事をするから会社を潰すんだという事を見ておりました。
ある時、私が2度目に勤めた鉄鋼関係の会社の社長のお嬢さんが結婚する時がありました。社長はその結婚式の費用や、家具の購入費用の請求書を全て会社に持って来ました。それを会社の福利厚生か何かの経費で落とし、自分に何百万という現金をすぐに出し、いとも簡単に会社の金を私物化致しました。無論、オーナー社長でした。この社長はいつも、「この会社は俺の会社や」と言っておりました。
私は、そこに大きな間違いがあったのではないかと思います。オーナーであっても、会社は俺の物ではありません。世間からお預かりした物、お客様から委託された物というふうに考えるべきであります。
しかし、どうも一部の能無し社長様は、俺が出資したんだから俺の会社だと思っておられる。俺の会社だと思うと、会社の金は全部俺の物だというふうになる。だから、平気で自分のお嬢さんの結婚式の費用まで会社負担にしようとする。
それを部下が見ています。下から上を見ていると、上の人がする事がよく見えるのですから、うちの社長はいい加減だな。社長があのような社長ならば、自分達も適当にすれば良いではないかという気になるのは当然です。だから、私の勤めた会社なんていうのは、幹部社員は平気でカラ出張をする。
あの日確かに会社にいたはずなのに、病院の請求書を出してきたりする。あるいは、月末近くになると、一流のバーやクラブの請求書がどんどん会社に送られてくるのです。私は、その時に経理をしていたものですから、その請求書をチェックしておりました。どう見ても、本当の接待には見えない。金額を見ると、大体1人分の金額しか載っていない請求書が大変多かったのです。
要するに、幹部社員は仕事が終わったら飲み屋さんに行って、全部請求書を会社に送っているのです。そういう幹部がたくさんいます。しかし、社長さん自身がいい加減でしたら、部下がそういう行いをしているという事を知ったとしても、社長はその部下を叱ったり注意したり出来ない。私はそのような会社が上手く行くはずがないと思います。
その時に、私は学んだ事があります。会社を潰す1番の原因は公私混同である。公私混同をしたら、絶対に会社を潰す。そしてまた、自分自身が公私混同をしていると部下がそれを真似する。部下が真似をしても、その部下を叱ったり注意したり出来ない。だから、ほったらかしになります。そんな会社が成り立って行くはずがありません。
私は、そのように潰れた会社に2回入っていたおかげで、上の人のいい加減な態度を嫌というほど見て参りました。将来、自分が経営に携わるという立場になったならば、絶対に公私混同だけは厳に戒めなければならないという事を、潰れた会社に入ったおかげで学ぶ事が出来ました。
これが後々どんなに役に立ったかわかりません。私がそのような会社に入っていなかったら、やはり私だって多少の公私混同をするのは社長の特権なのではないかと思い、公私混同をしていたかもしれません。そして、私がしていると、社長がしているんだからと部下もどんどん公私混同に走る。
しかし、私はその部下を叱ったり出来ない。物が言えなくなる。自分自身が公私混同をしていると、部下に対して物が言えなくなる。これが恐ろしいんです。だから、その後私はそういう公私混同は、どんな小さな事でも一切しておりません。それゆえ、今日会社がもっているんです。恐らく私がいい加減な社長であったら、私の経営した会社も今頃は影も形も無いのではないかと思います。
私の考えでは、会社というのは潰れるのは当たり前。むしろ、潰れない方がおかしいというのが私の考えでございます。だいたい会社というのは、どんどん潰れて行くのです。毎年全国で会社が何社出来ているかと言いますと、大体年間で5万社出来るんです。5万社。新設の会社です。これが、10年経つと何社になるかと言うと、5千になってしまうのです。その10年の間に90%の会社は、廃業したり、よそに吸収されたり、倒産したり。そういう状況になるんです。これが10年後です。次に、30年。30年経ちますと、500になります。1%しか残らないのです。

昔、日本経済新聞社が、企業の寿命は30年という本を出して、ベストセラーになった事がありました。あの通りです。100社に1社しか30年は続かないのです。だから、皆さん方の会社は、社歴何十年、30年以上という会社が当然あると思いますが、そういう会社は100社に1社しかない。ほとんどが潰れます。それでは、30年続いたら、絶対に大丈夫なのか?そんな事はないのです。それからどんどん潰れて行きます。100年続く企業というのは、2社なんです。たった2社なんです。つまり、2社という事は、全部潰れると言っても言い過ぎではないのです。
だから、私はどこの県に行っても、そこの地元の方に「ここの県で100年以上続いている企業は何社位ありますか?」と尋ねます。そうすると、大体10社か20社というところです。どの県に行ってもそうです。
北海道は、あれほど広い地域で100年以上続いている企業は2社しかありません。その内の1社は、最近倒産致しました。丸井今井という百貨店があったのですが、倒産して伊勢丹に変わりましたので、1社になってしまいました。だから、会社というのは、我が社だけは絶対に大丈夫と思っていても、そのような事はないのです。まず潰れると見た方が確実です。よって、それをいかに守り通して行くかという所に経営者の才覚があるのです。
今日は、お手元に3枚の絵を写真にしている資料をお渡ししております。これは、左側の長い絵が実物です。どこに飾ってあったかと言いますと、京都で200年続いている、ある企業の応接間に飾ってあった掛け軸です。左側のこれが実物です。
これは、1番下が創業者、真ん中が2代目、上が3代目になっており少し見にくいので、それを私が修正致しまして、右側に上から初代、2代、3代というふうに直しました。そして、この1番上の絵は創業者です。創業者は自分で会社を起して、家族共々朝から晩まで一生懸命働いています。自分がつくった会社ですから、潰す訳にはいかないので必死になって刻苦勉励する訳です。ある一定の年数が経ちますと、ある一定の財産が出来る訳です。
しかし、人間には寿命がありますから、ある時期には2代目に譲らなければならない。真ん中の絵が2代目の絵です。大体2代目というのはこうなります。これは、何をしている絵かと言いますと、謡の会をしている絵でございます。謡の会というのは、決して経営ではありません。道楽です。芸者遊びをしているという絵もあるんですが、2代目というのは大体甘いのです。そして、親父がつくった財産をもとにして、遊びほうける人が大変多い。
親もその2代目、息子に対して少し甘いのではないでしょうか?そういう厳しさが無い。そうすると2代目が遊びほうける。そして、どんどん会社の金を減らしていくんです。減らしていって、大体2代目の代で会社は倒産します。
倒産して、今度は3代目になったらどうなるかというのが、1番下の絵であります。この絵は大変哀れな絵で、会社が没落して、とぼとぼと道を歩いていると、後ろから野良犬が追いかけて来るという非常に厳しい絵で、大体会社というのはこうなるのです。だから、後継者教育というのは本当に一生懸命、必死になってやらないと永続出来ません。この絵は、大変貴重な絵であります。
これは京都でございますが、不思議な事に京都だけは、100年以上続いている企業が現在600社あるのです。他の県では10社、20社です。ところが、京都府だけは100年以上続いている企業が600社以上あります。私も何故かな?と思い、京都府庁に行って資料を見たり、100年以上続いている会社に訪問して、そこの実情を聞いたりしました。たくさん行きました。
京都は、戦争中も、第2次世界大戦の間も、占領軍は文化遺産を守らなくてはいけないという事で、京都は1回も空襲が無かったのです。爆弾が落ちていないのです。そういう非常に運の良い所が確かにあります。しかし、それだけではありません。京都の各家には、歴とした社是や社訓、創業者がつくった経営理念というしっかりしたものがございます。それを、歴代の社長が厳しく守り通しているのです。これを守り通せない社長がいたなら、その親戚中が集まって、相談をし、その社長に何がしかのお金を渡して「放逐せ」と家訓にはっきりと書いてあるのです。これは、辞めさせろという事です。家の財産の100分の5だけを渡して、辞めさせろ。そして、他の経営の出来る人間と変えなくてはならないという厳しい家訓です。京都には、こういうものがあるのです。
色々家訓がございますが、その中で大変わかりやすい家訓を1つだけ披露させていただきます。「人は一代名は末代」「家を守る道は勤と倹とにあり」奢というのは、贅沢三昧するという事です。

「奢長じ易し、慎むべし」これは大変分かりやすい家訓ですからご披露致しました。人は一代というのは、我々は皆寿命が参ります。いつの日か、次の代に譲らなければならないというのは会社です。会社というのは、末代続けるというのが本旨です。だから、潰れてしまったら元も子もない。やはり続けなくてはならない。家を守る道。これは、どういう経営をするかという事です。どういう経営をするかというその手法は、勤と倹とであります。ここがポイントです。少し良いと贅沢三昧に走る、この「奢長じ易し、慎むべし」。
この勤というのはどういう事か?これは、勤労の勤ですから、当然人と同じ働きをしていては駄目という事です。例えば人が、労働基準法が週40時間と法律で決まっているから、自分達も40時間働けば良いんだ。そういうふうに考えておられる方を、皆さん方の会社で管理職や重役に引き上げたら、絶対にその会社は倒産します。そんな甘いものではないのです。大体、幹部や重役になる人が、週40時間だけ働いて、それで上手く行くような企業なんてあり得ません。
今、コンビニやスーパーマーケット等の、チェーン店になっているような所の店長というのは、重役ではないかもしれませんが、その店長でも朝早くから準備をして、夜は大体21時、22時まで。更に、コンビニは24時間営業ですから、店長になった人は大変な働きをしています。これは凄いです。
実は、私の所もイエローハットという自動車の部品のチェーン店を2社持っておりますが、ここの社長というのが、本当に休みは正月の1日だけ。後は、日曜日も何も無し。10時開店ですが、朝は8時位に出かけ、全部掃除をします。そして、23時にその日の締めをして帰るので、夜は大体23時を過ぎないと帰れないのです。私の三男坊がそれをしているのですが、本当に働きます。だけど、あまり儲からない。それだけ働いていても、中々儲からないのです。世の中というのは、そういうものです。
要するに、この勤という事は、人と同じような働きでは駄目という事です。人が40時間働いているのだったら、自分は80時間働こう。あるいは、少なくとも60時間働こう。そういう気概を持っている人を、管理職や重役に上げなくてはならないのです。
今、私どもの重役は、週80時間勤務と決めております。それから、管理職は60時間、人の1.5倍働きます。もしも、「嫌だ、こんな事は出来ません」と言うのならば、「今直ぐ辞表を書きなさい。いつでも平社員に戻してあげるから。平社員になったら40時間で良いですよ。その変わり、給料も下がりますよ」と私は前々から言っていますが、未だかつて誰1人として「私を平社員に戻していただきたい」と申告に来た社員はおりません。言えば良いのです。言えばそうなります。上に立つ人がよく働くというような会社でなければ、上手く行くはずがありません。我々は中小企業ですが、中小企業だけではない。大企業でも行っている社長がおられます。
それでは2つ例を挙げましょう。1人は、かの有名な日産自動車のカルロス・ゴーン社長であります。私は先だって、日産自動車にもお招きを受け、日産自動車の幹部社員が全て集まる所でお話をさせていただきました。その後、ある常務さんと会食をしまして、その時に私は「おたくのカルロス・ゴーン社長は、何時にご出勤なさいますか?」とお尋ねしましたら、「そうですね、大体午前7時までには必ず来ておられる」というお話でした。「では、お帰りになるのは何時ですか?」とお尋ねしましたら、「大体、午後11時を過ぎている。毎日そうです」と言うのです。「へー、凄いですね。セブンイレブンですかね」と言っていたのですが、まさにセブンイレブンなんです。セブンイレブン働くと、1日16時間働くという事です。それを5日間、月曜から金曜までしたら、16×5で、80です。だから、人の倍です。しかし、あの社長は土曜日、日曜日も決して休まないのです。
我々のような自動車のディーラーは、土曜日、日曜日に展示会があります。カルロス・ゴーン社長は、関東地区の展示会をずーっと巡回しているんです。しかも、日産自動車の展示会だけに行くのではなく、TOYOTAの展示会も、HONDAの展示会も、三菱も、とにかく他銘柄の展示会全てを見て回っているのです。
私は関東地区の様々なディーラーの社長とよくお会いするのでお聞きすると、「うちにもカルロス・ゴーンさんが来られた」、「うちにも来られた」と皆が言っていますから間違いありません。土日で巡回に大体20時間かけていると言うのです。そうすると、週100時間です。一週間は154時間位しかない。その内の100時間を仕事に当てているのです。おそらく睡眠時間を相当削っているのではないかと思います。8時間寝ていたら、それは出来ません。睡眠は6時間程度なのではないでしょうか。
今から7年前、かつてあの会社は倒産しかけておりました。日産自動車の年間の赤字は、実に6千7百億円でございました。日産自動車は破綻するのではないかと評判になったことがあり、株価も200円台になった事があります。そこで、日産自動車もルノーと提携しまして、ルノーの社長であったカルロス・ゴーンさんに日産自動車の社長になってもらいました。
それまでの社長というのは、大体朝は10時位に出て行って、帰りはいつ帰ったのかわからないという状態でした。だから、カルロス・ゴーンさんが取り組まれたリストラ策や下請け切りというのは大変厳しいものがあります。相当犠牲になった方がおられます。カルロス・ゴーン社長が、今までと同じような重役出勤をしているような人であったら、みんな非難して、「そんな人は早く変えてくれ」と言います。
しかし、あの方は本当に身を張って行ったので、相当厳しい事でも我慢せざるを得ないという事になました。その結果、カルロス・ゴーンさんが来られて、1年目の決算には6千7百億円あった赤字が、3千3百億円の営業利益になりました。上下1兆円違うのです。そして、2年目は4千7百億円の利益、3年目は7千億円、4年目は7千8百億円、5年目は8千5百億円で、そこがピークでした。それから、今度は世界大不況が参りましたから、やはり車の販売も相当落ち込みました。その影響で若干減益になっておりますが、凄いです。あっという間に日産自動車は業績回復をした訳です。
やはり社長なんです。なんて言ったって社長なんです。社長がだらしなかったら、なんぼ頑張れと言ったって、社員がそれを跳ね返してやってくれるはずがありません。私は、業績が悪い会社を良くする方法はたった1つしかないと思います。そのたった1つの方法とは、社長の背中で教えるという事しかございません。社長の背中をみんな見ているのです。下の人はみんな社長の背中を見ているのです。社長が何時に出て来て、何時に帰って、何処に飲みに行くかを全部知っているんです。その背中がしゃーんとしていたら、これをしろ、あれをしろと言う必要がありません。だらーっとしているから、これをしろ、あれをしろと言わないといけない。それでも聞かない。だから、会社というのは社長が全てだろうと言わざるを得ないのです。

もう1人素晴らしい社長がおります。それは、イエローハットという会社の創業者でありました、鍵山秀三郎先生です。今、この方は相談役になっておられますが、この方は毎朝6時に会社に出て来ていました。会社に6時に出て来て、1人でトイレ掃除をしていたのです。毎朝、毎朝徹底してトイレ掃除をしたんです。社員は大体7時半くらいに出て来る。その時、トイレ掃除は全て完全に終わっていたのです。その事を社員は全然知りません。なんだかうちのトイレは特別綺麗だ。誰がやっているのだろう?という事を疑問に思っていたが、誰がやっているかは知らなかった。それは、鍵山さんが人に見せびらかしてやろうなんて思っていなかったからです。人が見ないうちにやろうと思っていたからです。こういうのを陰徳と言います。陰の徳。これは中々出来るものではありません。
私も現役の社長をしていた時は、本当に朝早く出て行って、徹底してトイレ掃除をしましたが、私は掃除をしながら、誰か早く来て、見ていないかなと思っていました。実際に、そういうふうに人に見てもらおうとやっていました。こういうのはあまり値打ちが無いのです。あの方は、そういう事を考えていない。誰も見ないうちにやろう。そして、社員がうちのトイレを掃除していたのは社長だったという事に気が付いたのは、なんと10年目だったと言うのです。10年間誰も知らなかった。社長は「10年恐るべし」と言っておられました。
そして、それを知った時の社員は、これはいけないと全社員が立ち上り、トイレ掃除は勿論、それ以外に駅から会社までの約1キロの間の道路清掃を社員が全員で行いました。よって、あそこの会社は非常に有名になり、近隣から感謝される会社になりました。
その結果、東証一部上場に上がりました。掃除であの会社は東証一部上場になったのですから大したものです。そういう素晴らしい方がおられる。我々もその真似をしなければならないと思います。良い所は真似をしなければならないのです。
私は、先程申し上げましたように、就職した会社が2社倒産致しました。そして、その次に入ったのが、今私がオーナーをしております、滋賀ダイハツ販売(株)という会社でした。滋賀県でダイハツの車を販売している会社です。そこに入社しました。
実は、私の親父が建てた会社で、私は2代目なのです。私も親父と一緒に仕事をしようなんて思っておりませんでしたが、どうも業績が悪いという事なので、「ちょっと助けに行ってあげろ」と親戚のおじさん達が喧しく言うものですから、それじゃあ入ろうかという事で入れてもらいました。
そして最初の日に経理の人に帳簿を見せてもらい、びっくりしました。帳簿には在庫や売掛、設備などの資産科目があるのですが、その資産科目のどの科目を見ましても全部数字がおかしい。常識的な数字ではないんです。おかしいというのはどういう事かと言いますと、その資産科目の中に嫌というほど含み損があるのです。1回も落とした事はないんです。私が入ったのは創業6年目でございましたが、6年間1回もそういう処理をした事がない。ほったらかしなんです。
私も皆さんも年に1回は決算をします。決算というのは、一体何の為にするのかと申しますと、期末にある含み損、評価損を全て表にさらけ出す行為の事を言うんです。これをさらけ出さないで、隠していたら絶対に会社は良くなりません。隠していたら損はわからない。だから、表に洗いざらいさらけ出す行為を決算と言うのです。
さらけ出した結果、赤字になる訳ではありません。赤字になっても良いんです。隠していたら、損はわからない。さらけ出せば、損の合計がわかる。帳簿の上では一切赤字がないという状況にする。そうすると、その赤字をどのように消すかというのはまだ仕様があるのです。
ところが隠しておいたらいつまで経っても駄目なんです。だから、決算の時には良い顔しては駄目です。とにかく洗いざらい表にさらけ出すという事が大事なんです。これを怠っていたら、会社は段々悪くなりますし、業績が段々悪化して行きます。
しかし、私の所は全部隠していたのです。私が入った時には、もう全ての含み損は隠されていました。私は、その中で特に在庫が大変気になりました。私どもにも色々在庫がありますが、特に危険な在庫と致しまして、中古車というものがございます。これは、新車をお客様にお売りした時に、下取りで頂いて来る車です。
私が帳簿で確認したら、この中古車は約1億円という在庫が残っていたのです。そして、毎月いくら売っているのかと思い、売上を見ました。売上を見ましたら、大体1千万円ずつしか売っていないんです。1千万しか売っていないのに、在庫が1億もあるなんてあり得ない。10ヶ月分もある。だから私は、これはおかしいと思いました。
私は、この在庫の中にひどいものがあるのではないかと思い、その時の中古車部長に「ちょっとすみませんが、この在庫はどこに置いてあるか、現場を案内していただけませんか?ちょっと確認したいから」と言ったら、その中古車部長が「いやー、見ない方が良いですよ」と言うんです。「しかし1億という金額が帳簿に載っているじゃありませんか。何か物はあるでしょ?」と言ったら、「そりゃあ物はあります。物はあるけれども、見ない方が良い。見たらがっかりしますよ」こんな事を平気で言うんです。「しかし、見ない訳にはいかない。どんな状況であっても良い。あんたが過去にどんな事をやって来たとか、そんな事一切追求しないから、なんとか案内して下さい」と言ってお願いしたら、「そこまで言われたら仕方ありません。じゃあ、参りましょうか」と言って私をある場所に連れて行って下さったんです。私は中古車と言ったら、中古車センターか何かで車をピカピカに磨きあげて、綺麗に直しているものだと想像していました。

ところが、私が連れて行ってもらったのは、ある山の中のひどい荒れ地だったんです。荒れ地に草がいっぱい生えていて、地面がでこぼこになっていました。そこに車が並べてあったのではなく、縦に積んでありました。それが、5重も6重にも山になっていました。その数が300台あり、「これが1億円の在庫です」と言われました。
私はその時から、世間の常識は間違っているなと思いました。皆さんも在庫は財産だと考えておられると思います。どこでもそう思っていると思います。
しかし私は思っておりません。私は、在庫はクズだと思っています。それが販売出来るまで安心出来ない。決して安心してはいけないのです。それから、販売してもそれを売掛で放っておくと、また貸し倒れになる可能性があるのでまだ安心出来ない。だから私にとって売掛は貸すという事なのです。
それから、売掛を回収しても、回収の中に手形の回収があったら不渡りになる可能性があります。まだ安心出来ません。だから私は手形を紙切れと言っています。ひどい事を言っているんです。在庫はクズ、売掛は貸す、手形は紙切れと言っています。これが、きちんと期日が来て入金を確認するまでは安心出来ません。本当に会社が潰れる原因の1つは在庫過多です。在庫が多すぎる。
そして、もう1つは売掛です。売掛の中でも取れない売掛というものがいっぱい出て来るんです。あるいは、手形です。受取手形です。受取手形が不渡りになるという可能性がある。これらは、会社を潰す原因の3大要素なのです。
それが、私どもの所に山ほどありました。とにかく一辺整理をしないといけないので、私は一辺全部損で落とすものは落として、処理をしようと思い実践しました。その1億円の中古車在庫を私が見に行こうと、そばに寄ったら「いやー、そこは行かない方が良いですよ。そこに蜂の巣がいっぱいあります。行ったら蜂に刺されますよ。」と言われる程ひどい状態でした。結局スクラップです。
そして部品の倉庫に行くと、ほこりまみれの部品がいっぱい積んでありました。誰も何も言わない。売る事ばかり喧しく言って、その後始末が出来ないんです。要するに、管理者不在であります。そういう会社でございました。結局、私は損で落とすものは全部落として処理をしましたら、なんと欠損は6億でした。
当時、私どもは年間売上15億しかないちっぽけな会社でした。そんな会社で6億の欠損です。やっていけますか?まず、資金繰りが火の車です。経理の人は、銀行に日参していました。
しかしながら、銀行さんもそのようなガタガタ会社にいつまでもお金を貸し続けて下さるはずがありません。私が入社して2ヶ月目に、どうしても明日の手形が落とせないという日が現実にありました。いくら銀行さんにお願いに行っても「もうあなたの所にはお金は貸せない。むしろ、今貸しているお金を直ぐに返してもらいたい」と言われました。もう地場で資金繰りをしなくてはならないと思っておりましたが、地場ではどうしようもないと言うので、最後に命乞いで行くのが、私どものメーカーしかございません。
大阪にダイハツ工業という会社がございます。本当はメーカーには行きたくない。メーカーに行きますと、色々経営の批判もされますし、貸付については厳しい条件をつけられます。
そういう事が分かっておりましたので、なるべくメーカーには行きたくはなかったのですが、もう手段がないので、私の親父がメーカーに行って「なんとか資金的ご援助をお願いしたい。そうでないと、どうしても明日の手形が落とせない」と言ってお願いを致しました。
そうしたら、メーカーさんが「それはうちの販売会社だから、助けない事はない。しかし、助ける為には条件を2つのんでくれ。1つは、こんなガタガタ会社にしたのは社長さんの責任でしょう。だから、社長さんは即刻辞任していただきたい」とはっきりおっしゃいました。
「もう1つの条件は、あなたの親戚、一族で持っている株券を今日中にメーカーに引き渡していただきたい。メーカーはそれを額面で買い取りましょう。この事を嫌だとおっしゃるのなら、貸付は行えません。どうぞ倒産して下さい。当社はまた別の会社を建てます」とおっしゃる。もう切羽詰まっておりますから、親父は直ぐに戻りまして、私ども親戚一同を呼び、持っていた株券を全部寄せ集め、メーカーの名義に変え、その日の内に全額渡したのであります。
あっという間に1日で資本が100%メーカーに渡りました。そうすると今度はメーカーさんが「じゃあ、次期社長はメーカーから派遣しましょう」と言ったので、今度は出向の社長さんがお越しになる事になりました。今、福岡と小倉は地場の方がやっておられますが、後は全部メーカーの会社になりました。私どもと同じような理由でそうなったんであります。今ではメーカー100%の会社ばかりになっているのです。
結局、私の親父はそこで引責辞任をして、メーカーから出向社長がお越しになる事になりました。私はまだ入社2ヶ月目でしたし、まだ幹部でも何もありませんでしたので、私が親父と一緒に責任を取って辞めるという必要もありませんから、メーカーから出向された社長がどのようなやり方でこの会社の再建をするのか、一度お側でじっくりやり方を見せていただこうと簡単に考えておりました。

私の考えでは、どんなに立派な社長が来られても、こんな6億もの決算会社を建て直せるはずがないと思っていたのです。しかし、せっかくお越しになるのだから、何から手をつけられるかをじっくり見せていただこうと、こう思っていました。
それから数日後、新社長が出向なさいました。直ぐに私は呼ばれて、社長はこうおっしゃいました。「後藤君、この会社は君の親父が建てて、潰したのも君の親父ではないか。君は息子だろう。息子ならば、この会社の再建は君がやりなさい。わしは知らん」と言うのです。「もうわしは、明日から会社には出て来ないから。全部君に任せるから。君、好きなようにやりなさい」と言って、私に辞令を下さいました。その辞令には、社長代行を命じると書いてあり、私はびっくりしました。そんな辞令を貰っても、ちっとも嬉しくも何ともない。
私はそれまで、2回潰れた会社の体験があるので、どうしたら会社を潰せるかという事はよく知っておりましたが、それを再建するという手法は、体験がないのです。それに、任せたと言って、この出向社長は出て来ないんであります。その時、私はなんてひどい社長が来たな、一体どういう気なんだと思いました。
しかし、任されたのです。私は任されたので、とにかくやらなくてはいけない。しかし、やり方がわからない。何から手をつけて良いかわからない。ほとほと困り果てました。そんなガタガタ会社でありましたから、私どもの幹部社員はみな動揺しておりました。
そして、幹部社員は集まって相談をしていました。「もうこの会社は駄目だぜ。株は全部メーカーに渡った。そして、メーカーから出向の社長が来られても、その社長が出社しないじゃないか。これはきっとメーカーがこの会社を潰しにかかっているに違いない」という訳で、幹部が相談した結果、「もうこの会社には見込みがない。各人が次の行き先を探す事にしようではないか」という事になり、幹部社員全員がその場で辞表を書いたのです。
翌日、代表の人がその辞表を私の所に持って来て、「うちの幹部は全部辞めると言っていますから、どうぞこの辞表を受けとっていただきたい。」と言って、私の机の上にどさっと置いたのです。その枚数が30枚ございました。その中には、取締役もいましたし、部長、課長もいました。長とつく人全員であります。
私はびっくりしまして、必死になって止めました。「そんな事言わないで下さい。あなた方がおられなくなったら、私は経営の体験がないんだ。これから色々あなた方に教えていただいて、1から出直そうとしている矢先なんだから、なんとかこの辞表を撤回していただきたい」私は1人1人に頼んで回りました。
しかし、「自分達はみんなで相談してこういう結論に達したんだ。今更抜け駆けで辞表を撤回するなんて、そんな卑怯な真似は出来ん」と言うのです。結局、私は1人も止める事が出来なかったんです。
数日後、30人の幹部社員が一斉に退社しました。残ったのは、40名の平社員のみです。私は、これは大変な事になった。ひょっとしたら売上高が半分くらいに落ちるのではないかと思いました。
売上高が半分になりますと、当然マーケーットシェアも半分になります。私どもの業界は、毎日シェアをあげているんです。みなさん方がお車を買われる時のナンバーもそうです。あのナンバーを登録に行く瞬間が売上なんです。だから、毎日どこのディーラーが何台売ったというのも全部データが出る。月末が来ると、その月のシェアが出ます。その月のシェアが前月よりもアップしていれば、メーカーは何も言って来ませんが、少しでもダウンしてごいれば、直ぐにメーカーからお叱りの電話がかかってきます。「何しとんだい!」と叱られる。
それくらいシェアに敏感な業界なんです。そのシェアがメーカー出資100%になったとたんに、あっという間に半減した。そんな事になったら、メーカーだって格好がつきません。しかし、私の力ではどうしようもない。多分そうなるだろうと思いました。そうなれば、当然メーカーも「あの息子は大した事ないな」と非難するでしょう。そうなったなら、私も辞めざるを得ないと思いました。
ただ、みんなが辞めた時に一緒に辞める訳にもいきませんでした。やはり、私の親父がつくった会社ですから。私は、辞めた30人の幹部社員の職責を全部1人で引き受けました。大変でございました。大変でございましたが、どんなに頑張っても上手く行くとは思えなかったのです。
それから1、2ヶ月様子を見て、どうしようもないなら私も辞めないといけないと、思っておりました。しかし今辞めたのは給料の高い人ばかり。これからうんと人件費が安くなると思い、計算致しましたら、大体今までの40%出ているんです。給料をたくさん貰っているお偉いさんが辞めたものですから、60%人件費がダウンするんです。それから、交際費や旅費、交通費など、そういうお偉いさんが主に使う経費もほとんどいらなくなりますから、経費は大幅に減る訳です。
しかし、減らない経費もあります。例えば、借入金の利息です。これは、借入を返さないと減りません。それから、当時私どもは、土地、建物が全部賃貸物件でございましたから、その賃貸料も減らない。だから、人件費は大幅に減るんでありますが、金利や賃貸料のように減らないものもありますから、経費総額で約半分になるかなという事は見当がつきました。
いくら経費が半分に落ちたとしても、それに連れて売上高も半分になってしまったら、それまでずっと赤字続きの会社だから、また今後も当然赤字が続くでしょう。その上、マーケットシェアも半分になる。しかし、どうしようもない。多分そうなるだろう。そうなれば辞めなくてはならないと思っていました。
それからどうなったかと言いますと、経費は私の予測通りきちんと半分になりました。ところが、私の予測が見事に外れたものがあります。それが売上高でした。売上高は、その後も全く落ちませんでした。売上高が落ちないで、経費だけが半分になったらどうなりますか?勝手に儲かるじゃありませんか。私が1ヶ月目、2ヶ月目と月次決算をしますと、かなりの利益が出るんです。それで私は経営というのは、こんなに簡単なものなのかと不思議に思いました。今まで、どうして苦労して赤字ばかり出していたのか不思議だった。これは面白いなと思いました。
ただ、いくら考えても分からない事がありました。あのお偉いさんと呼ばれる重役、取締が全部退職したのに、全く売上が下がらない理由が分からない。
そこで、私は残っていた社員の主な人に集まってもらい、質問をしました。「あのお偉いさんが全部辞めたのに、どうして売上に影響しないんですか?影響するはずでしょう」と言いましたら、その人達が「そんなのは関係ありませんよ」と言ったのです。これがまた分からない。私は当然、重役・管理職が辞めたら売上が半分以下になると思っていました。「どうしてそう思うんですか?」と聞いたら、「そんなものは当たり前じゃないですか。今までいた偉いさんは何をしとったと思いますか?」と言うんです。「こんな大きな両袖の机をもらって、両肘のついた立派な椅子をあてがってもらって、そこにどかっと座って、部下に対して“君これせー、あれせー、何せー”。うちの重役・管理職は、指示命令はしとったけれども、自分自身で何も動いとらしませんよ。」と言うんです。「うちの重役・管理職は、全部口で仕事しとったんですよ。全然動いていません。その動いていない人が勝手に辞めたんですよ。動いとる我々は辞めていませんよ。だから、なんら影響はありませんよ。むしろ、どんどん儲かりだしますよ」こんな答えでありました。
私はそれまで経営というのはさっぱり分からなかったのですが、その答えを聞いた瞬間に、経営の極意はこれだとぱっと分かりました。この経営の極意というのは何か?それは、会社というのは動く社員の集団にしなければならないという事です。動かないで、じっと座っている事務員さんのような方がたくさんおられる会社ほど、私は業績が悪いと思います。動くという事と稼ぐという事はイコールであります。動かないで、勝手にお客様がどんどん来て下さって、勝手に物を買ってくれればそれはありがたい。そんなに上手く行く訳がないと思います。特に、今のような世の中は、やはり攻めの経営をしなければならないのです。

ところが、それまで現場を駆けずり回っていた人も、課長という辞令を貰うと変わるんです。これから自分はあまり動いてはいけない。これから部下の指導や相談事に乗らなければならない。部下が相談に来た時に、自分がこの場所に座っていなかったら部下が困るのではないか。これから自分はこの場所になるべく座っていなければ。こういうふうに考えが変わるんです。これを、管理者病と言います。これは病気なのです。
私の親父なんていうのは、地位を与えればもっと働くだろうと思っていましたから。もうぼちぼち課長にしてやろう、部長にしてやろうとか、どんどん地位を与えた。そして、地位を与えるとその地位の象徴として、両袖の机になる。椅子は肘のついた立派な椅子をあてがうのです。そうすると、そこに一旦どかっと座りますと、気持ちが良いから立ち上がれなくなります。こういうのを管理者病と言います。
だから、私どもの会社では、地位が上になればなるほど机は小さくなるようにして、椅子も折りたたみ式の椅子しか置かない。昔、重役や部長が使っていたこんな立派な机や椅子を一体誰が使っているかと言うと、女性の事務員さんです。うちは、女性の事務員さんが、こんな大きな机にでーんと座って威張っています。そしてお偉いさんは小さな机です。
もしも、外部からお客様が来られて「重役さん、部長さんは何処におられますか?」と聞かれた時に、小さな机の前に座っているのを見られたら格好悪いでしょう?格好悪いので、そんな場所にはおりません。私が言いたいのは何かと言いますと、重役や管理職の仕事場は本社にいる事ではないという事です。あなた方は現場を回ること。徹底して外に出ること。それがあなた方の仕事なんです。だから立派な机や椅子はいらない。こんな所に座って、居てもらったら困る、出て行け!!この事を実践している訳です。
だから、世間から変な会社だと言われています。あの会社は変わっているなと言われますが、滋賀県ではダイハツが断トツのナンバーワン会社なんです。去年、38年連続で県下のトップディーラーになりました。だから私のやっている事は何も間違いではないでしょう?他が間違っているのです。他の会社は、偉くなると衣替えをしたり、そういう事を平気でしている。それだから私は悪口を言っているんです。
皆さん方の会社でも、社長室という部屋があると思います。その部屋を応接間に変えて、社長さんはそこの部屋から外に飛び出なくてはならないんです。社長室には四方に壁がありますが、その壁を何と呼ぶかと言いますと、情報遮断板と言います。情報遮断板を四方に張り巡らせて、その中にじーっと閉じこもっている社長を穴熊社長と言うのです。
これは、どこがいけないかと言いますと、情報が社長室の中にあれば良いですが、情報は現場にしかありません。お客様に近づかない限り、本当の事は分からないのです。だから、社長室は廃止していただきたいと思います。そして、そこを応接間に変えると、もう社長は外に出る。机も外に出す。出来るだけ本社なんかにはいない。現場を駆けずり回っているという社長がやはり立派だと思います。私自身はそれでやってきました。
私が現役の社長をしていた頃は、本社には行きませんでした。本社には情報がほとんどありません。出先の拠点が26あるので、毎日場所は変わりますが、朝早くに出先の拠点に行き、そこで一般社員と私とで直接話をします。それから、9時くらいから私どものお得意様、あるいは代理店を最低20件回らなかったら帰らないと決めていました。これはノルマです。私は20件を必ず回りました。そうすると移動時間もありますし、話す時間もありますから、20件も回ると当然夜になってしまいます。そして私は直接家に帰ります。翌日になれば、別の場所に行きます。
私が本社に行くというのは、本社にミーティングというのを決めた日だけです。だから、月1回くらいしか行きません。そうすると、私に相談事がある人はどうしたかと言うと、私を現場まで追いかけて来ました。現場まで追いかけて来て、現場で決済です。それで良いでしょう。なにも、社長室で決済しなければならないという事は絶対にないのです。
私は現場を駆けずり回っているから、入って来る情報の量が一番多いんです。ライバルがどういう手を打ったかというのは、翌日私はぱっと分かっていました。だから、私はそれにまた対抗策をぱっと打ちます。必ず当たりでした。幸いに、私達どものライバル会社の社長というのは、みんな穴熊社長さんが多かったですから、大変良かった訳です。私と同じ事をみんながやったら、私もそんなに上手くは行かなかった。それだから、徹底して現場第一主義でやりましたので、ずっとトップが取れる会社になりました。
そういう事で、動かない管理職が勝手に30人辞めてくれて、売上が全然落ちない。そうすると、毎月毎月儲かり始めます。儲かると、6億の赤字がぐんぐんぐんぐん減って行く。あれは面白かったです。毎月毎月どんどん、どんどん減ってゆく。しかし、6億の赤字を消すのには4年かかりました。4年かかって、やっとトントンにして、5年目にはとうとう配当出来るようになりました。
そうしたら、私どものメーカーも「中々あの息子は大しもんやな。ようこんな6億の赤字を4年で消したな。えらいやっちゃ」と褒めて下さいました。もうあの会社には、出向社長はいらないのではないかという話になり、私は当時32歳でありましたが、社長に抜擢しようという話になり、出向も引き上げたのです。
私は最初、ひどい出向社長が来たなと思っておりましたが、今から考えますと、この社長は偉い社長だったとつくづく思います。要するに、任せるという事に徹しきったというのは凄い事です。今、私がその立場になってやれるかと言ったら、少し難しいです。やはり、物が言いたくなります。しかし、一切言いませんでした。
それは、私にもその原因があります。私は毎日その日の出来事、どういう人と会って、どういう話をした、どういう決済をした、というのを毎日夕方になったら、その社長の自宅に行ったり、電話をかけたりして、その日にあった事を事細かく全部報告致しました。だから安心して任せて下さったのです。
皆さん方も部下をお持ちだと思いますが、報告を確実にしてくれる部下は信用出来ます。報告しろと言っても、結果も何も報告しないという人は、信用出来ません。だから、そういう人は上に上げてはいけない。きちんと報告が出来る人だったら、上に上げてやる。そういうふうにした方が良いと思います。
皆様方にも上司がおられるとしたら、その上司に対して毎日きちんと報告しないといけません。「こんな事まで言わなくて良い。」と言われるまでやらないといけません。そうしたら、皆さん方も信頼されます。出世も速くなると思います。ここはポイントです。
幸いに6億の赤字が4年で消えまして、5年目で配当出来るようになったので、社長に抜擢していただき社長になりました。しかし、株は全部メーカーさんが持っていますから、私は雇われマダムであります。当然利益が出ますから、15%か20%の配当をしておりますけれども、いつも決算を持っていく度に、配当金を全部持って行かなくてはなりません。
そうすると、何だか馬鹿らしいなと思って釈然としない。ですから私はメーカーの担当常務に会うたびに「なんとか私にも少しは株をお譲りいただけませんか。一生懸命やりますから」と言ってお願いしましたが、私どものメーカーは絶対に譲りませんでした。「経営と資本は別だ。君には経営だけを任せている。株主なんかになってもらう必要は一切ない。これはメーカーの基本方針だ。だから、そんな無駄な事を言うな」と言われました。
私は16年間滋賀県の社長をしましたが、とうとう一株も買い取る事が出来ませんでした。そこで、私は一生この株を買い取る事に全心全力をかけようと決心しました。私はこれを人生の戦略と言っているのです。私が皆様方に申し上げたいのは、一生かかって何をしようと思っておられるんですか?という事なんです。これが、人生の戦略。一生かかって何をしようという目標を持って、事にあたっておられるかどうか。それを持たれていたら、ものすごく強い人生が出来ます。

今から決めても良いんです。今から一生かかって自分は何をするのか?という事です。どういう会社にするのでも良いし、どれだけの財産を作るんだというのでも良い。とにかく、一生かかって何をするんだ!!というこの決意です。しかし、ただ決意しただけでは駄目なんです。決意して、胸の中に秘めていたって誰も分かりません。だから、それを発表しないといけません。
発表するにはどうすれば良いかと言うと、こんな大きな紙に一生の目標と書いて、ばーっと項目別に書き出すのです。そして、同じものを2枚書くんです。2枚書いて、1枚は自分の自宅に運ぶんです。奥さんや子供さんの見える所にばーんと貼って、「お父ちゃんの一生の目標はこれで行ったろか。出来るかどうか見とけよ」と宣言するんです。
そして、1枚は会社に持って行くのです。会社に持って行って、部下に見える壁にばーんと貼り出して、「俺の一生の目標はこれで行くから、皆さん協力して下さいよ!」と頼むんです。そうすると、家に帰っても目標を見る。会社に来ても見る。やらざるを得なくなります。私は、経営をするという事は逃げ道を塞ぐという事だと思います。逃げ道を作って言い訳をする口上を考えて、いくらやっても何も価値がない。やはり、きちんと決めて、それを人に発表し、それに向かって邁進する事です。
戦略があると、今度は戦術が出るんです。戦術と戦略は違います。戦術というのは、戦略を決めたら出て来るのです。戦術は、戦略を遂行する為の当面の手段であります。
戦略を決めないのに、戦術だけというのはあり得ません。だから、大きな戦略は大きな目標でしょう?それゆえ、大胆であります。戦略は大胆、戦術は細心、細かく。この両面作戦です。これで行かないと駄目です。
私の戦略は、親父が失敗してメーカーに渡った株をなんとしてでも取り返すという事です。その為の戦術としましては、メーカーから高く評価されなくていけませんから、絶対県下のナンバーワンであろう、ずっと続ける。マーケットシェアはダイハツの販売店で日本一、利益でも常にダイハツの販売店の中でトップクラスになる。こういう方針を決めて、それにチャレンジをして来ました。そして、ほとんどそれらを達成しました。毎年総合表彰という、メーカーからのナンバーワン表彰を大体私どもが例年頂きました。
だから私は相当メーカーに貢献したつもりです。メーカーの為に相当頑張ったと思っているのですが、いくら株の譲渡をお願いしても、株は絶対に譲らないとおっしゃる。私は、何故かなと思い、考えました。何が原因だろうと真剣に考えておりました。そうしたらある時、気が付きました。そうだ、滋賀県みたいなちっぽけな県でやっているから駄目なんだという事が分かったのです。
私が滋賀県の社長をしていた頃は、滋賀県の人口は85万人くらいでありました。日本の総人口の0.7%市場でございました。そんなちっぽけな市場で、いくらマーケットシェア日本一だと威張っていても、メーカーに与える影響はまことに低い。どれだけ頑張っても目立たないんです。だから、これではいけないと思いました。
いつまでも滋賀県にいたら、絶対にこの株の譲渡を受ける事は永久に不可能だという事に気が付いたのです。そこで「よーし、大都市圏に出るぞ!」と決心しました。これが私の追加戦略であります。そして、私どもの業界紙があるので、業界の新聞記者に来てもらって、大都市圏に出るぞ!!という事を記事にしてもらいました。
その新聞は当然メーカーにも行きますから、メーカは私の気持ちが分かる訳です。そうしたら、私を大都市圏の社長に抜擢するかと言ったら、そんな事はないのです。メーカーには、何万人という社員がおりまして、一流大学を出た秀才がいっぱいいる。私なんか、高校を出て直ぐに働きだしたものですから、大学は2年遅れで関西大学の夜間部に行きました。そして、ずっとセールスをしてきましたから、あまり学校に行く暇も無かったですし、とにかくあまり勉強も出来ませんでした。何はともあれ卒業はしましたが、大した事はないんです。しかも、ちっぽけな滋賀県のディーラーの社長でしょう?そんな社長が、大都市圏に出るぞ!!と叫んでいるから、あいつに大都市圏を任せてやろうかというような発想はメーカーに起るはずがない。普通の人は、そこで諦めると思いますが、私は絶対に諦めませんでした。私は、一度決心したらやり遂げるまでやるぞといつも思っています。
もう亡くなられましたが、四国の松山という所に、坂村真民という有名な詩人がおられました。あの詩人の詩の中に「念ずれば花ひらく」という詩がございます。この詩を石碑にしている会社が日本中に630社もあります。私どもの会社も、門の横に大きな石碑を建てました。いつも、私は会社に行くと、そこに頭をつけて、こういう場合どうしたら良いかとかなんとかを石碑と相談すると、ぱっと閃くんです。あれは不思議です。

私は一度、大都市圏の成績を全部調べあげました。そうしたら、分かりました。大都市圏はだらしない。私が調べたところ、大都市圏はマーケットシェアがもの凄く低い。それから、赤字会社がほとんどです。
その当時、東京なんかに行きますと、ダイハツのマーケットシェアは2%でした。2%といったら、私から言わせるとゴミであります。市場に物が見えません。私が東京へ行って、ダイハツがどこか入っていないかいつも見ていますが、ほとんど入っていません。埋没しています。
当時、名古屋では3%でございました。これはまた非常に低い。それから、問題は大阪です。大阪はメーカーのお膝元です。そのお膝元でありながら、マーケットシェアが全国平均より低いんです。私はそんな馬鹿な事はない。
当然メーカーには1万人くらい社員がおられる。その内の6千人が大阪府民なのです。その人達がメーカーに通勤する時に、他銘柄に乗って行く訳にはいかない。それから、下請けの会社が沢山あります。下請けの会社だって、メーカーに製品を納品する時に他銘柄に乗って行ったら、門番の所でチェックされてはまずいでしょう?だから、嫌でも買うんです。それを特需と言うんです。その特需があるのに、マーケットシェアが低い。それをまた、メーカーの社長は黙っているというのはおかしいじゃないですか。私は一度チャンスがあったら、メーカーの社長にこれを直訴しないといけないなと思っていました。
時々、私どもの所では内示会というものがありまして、新型車が出る前に、事前に私どもをメーカーに集めて車を見せてくれるんです。そして、「こういう車が今度新発売するから、頑張って販売してくれ」とおっしゃる。その後、必ずパーティーがある訳です。
パーティーがありますと、メーカーの社長は当然出ておられます。私は、乾杯が終わったら、直ぐに社長の側に行きました。そして、社長に申し上げました。「社長、ちょっと話を聞いていただけませんか?私が調べたところ、都会店はからっきしだらしないじゃないですか。都会店でもっとシェアアップがあったら、メーカーの販売がぐっとアップするじゃないですか?どうしてその大切な都会店を経営しないでほっとかれるんですか?それをおやりになるのが社長さんのお仕事じゃないんですか?なぜ何もおやりにならないんですか?」と申し上げたら、社長が真っ赤な顔をして、「よくそんな偉そうな事を俺に言いに来るな!」と恐ろしい顔をして、僕を睨みつけました。
メーカーの社長に向かって直談判するような、一弱小ディーラー社長は他にはおりません。私だって、そんな事は嫌われる事だから、本当は言いたくない。しかし、私には言わなければならないこの戦略を書いていたんです。なんとしても、この大都市圏に出る!という戦略です。それから、株を取り返すという戦略を持っていたので言えたんです。何も持っていなかったら、言いに行きません。
そして、次の内示会があった時にまた行きました。また行って、「社長、何か都会店に手を打たれましたか?ちょっと聞かせていただけませんか?」と申し上げたら、「また来たか!」と社長が恐ろしい顔で僕の事を睨みつけました。それは言われたくないですよね。
しかし、私の言っている事は、データにもとづいて物を言い、メーカーの痛い所をついている訳ですから、気にならないはずがない。もちろんその時は怒っていますから、直ぐにどうこうはないですが、きっと後で何か言って来ると私は確信していました。
数日後、メーカーの社長から直接私に電話がありました。「ちょっと君に話があるから、社長室に来てもらいたい」こういうお話でございました。私もまた叱られるんだろうなと思い、びくびくしてメーカーの社長室に行きました。そしたら、社長が「君は僕に偉そうな事ばかり言うじゃないか。そんなに偉そうに言うなら、一度君が都会店の社長をやってみて、シェアアップをはかって見せてくれ。君のやり方でシェアアップがはかれるなら、そのやり方を他の都会店に全部真似させるから。君、テスト形式でやってみてくれへんか?」とおっしゃったんです。
私はその時、「やっぱり大きな目標を持って、飽くなくチャレンジすれば、ならんとの事でも必ずなる」、しめたと思いました。そして「どこの県をさせていただけますか?」とお尋ねしました。
ちょうどその年に、メーカーの出向社長3名がお辞めになる県がありました。1つは九州の熊本県、1つは関西の兵庫県、1つは関東の千葉県でございました。この3つの県が空席になる。社長が「今はまだ後任を決めていないから、今ならその3つの中から君が選べば、直ぐに任命出来る」とおっしゃった。
私は、「その3つの中なら、是非兵庫県をさせていただきたい」と申し上げました。なぜ私が兵庫県を選んだかと言うと、兵庫ダイハツという会社は日本のダイハツの販売店の中で一番大きな赤字を抱えていたからです。当時、15億の赤字がございました。メーカーの直営会社で一番規模の大きい会社で、全社員数は500名であります。メーカーの直営会社で一番規模の大きい会社ですから、当然メーカーの副社長さんや専務さんといった方が、代々出向社長で行っておられるが、誰が行っても赤字が増えるばかり。いわば、メーカーのお荷物会社です。
メーカーは困っておりました。メーカーの人は行きたくないのです。そんな所に行ったら、貧乏くじを引くようなものと思っていますから、それを私が是非兵庫県をさせてくれと言ったら、一発で決定です。「兵庫県をやってくれるんやったら大助かりや。じゃあ、1ヶ月先から就任してくれ」とおっしゃいました。
そこで私は滋賀県にあった家を即刻売りに出して、2週間で売りました。そして、そのお金を持って、今度行く会社の側にマンションを買い、家族もその2週間の間に全部移り住みました。「あんた、1人で行きなさい」とか、ごちゃごちゃ言っていましたが、やはり家族同伴で行かないと、受け入れ側が本気でやると見てくれないのです。本気でやると見てもらわなければならないので、どうしても家族同伴で行かなければならない。単身赴任は駄目です。そうして行った訳です。これは大変評価されました。今度来る社長は、本気でやりそうだなと思ってくれました。
そして1ヶ月後に兵庫ダイハツの本社に出社しました。ぱっと見て、これは儲からないのは当たり前だと直ぐにわかりました。どこで分かったかと言うと、本社を見て分かったのです。なんと、本社には座って仕事をしている男性社員が沢山いたのです。
私は、「男が日がな一日座って仕事をするなんて、そんなだらしない事は止めろ!」といつも怒鳴っているんです。滋賀ダイハツでは、昼の日中に本社にいる男性社員なんて誰もおりません。女性の事務員さんだけです。ところが、兵庫県はいっぱいいるんです。私は数を数えました。男性49人、女性15人、合計64名が本社におりました。女性の15名は良いとしても、49名もの男の社員が座って仕事をしているとは何事だと言いたい。その上、部長や課長や係長や長がつく人がいっぱいいる。
私は、一体何をしているんだと思い、ずっと仕事を見ておりましたが、ほとんどいらない仕事でした。資料ばかり作って、コピーばかりとっている。それを現場に配布していても、現場の人は誰も見ていない。まず、これを改革しなければならないと思い、私は3日後に49人の男性社員を一同に集めました。そして、言いました。「この中の、各セクションのエキスパート1人ずつ残せ」セクションは経理や総務、企画、人事だとか5セクションありました。「5人だけ残せ。残りの44名は営業に全員配置転換するから、そのように心得てくれ」と言いました。
もう大変です。その日から、私の排斥運動を起こした社員がたくさんいます。メーカーの担当常務の所に会いに行って「あんな社長、早く戻さないとひどい事になりますよ。兵庫ダイハツますます悪くなりますよ」と言うんです。
また、そういう業績の悪い会社ほど、強い組合があって、組合が人事権を握っているんです。人事異動をする場合は、組合に相談して、組合が「良いですよ」と言わない限り、人事異動出来ません。それだから、「人事権は会社の一方的な権利である。従って、今後二度と組合には相談しない」と私は最初の労使協議会で言いました。
その日から大喧嘩です。それで、組合は「44人も現場に放出するという、そんなけしからん事は直ぐに撤回しろ。撤回しなかったら、ストライキを起す」と言いました。「君等がそういう態度でおるから、この会社はいつまで経っても良くならないんだ。僕はこの会社を良くして、君等の待遇も改善するのや。僕に協力するのは当たり前だ。ストライキをするなら、勝手にやれ。やったら君等が困るだけだ」と私はこう言いました。結局、私の迫力におされて、ストライキは中止になりました。
そして私は44人に辞令を出しました。この人達は、営業なんかに行きたくないでしょう?本社にいれば、夏は涼しい。冬は暖かい。ノルマは無い。お客様に頭を下げる必要も無い。それが、今度は営業に出れば逆です。だから、みんな嫌なんです。けれども、辞令が出たら行かざるを得ない。私の悪口を散々言って、とにかく現場に行ったんです。

私は相当辞めるかなと思っており、辞めたら良いのになと思っていましたが、給料が高いので誰も辞めない。それで、結局44人が営業に行きました。嫌々行ったんですから、大して売れません。そこで、全部新車部門にまわしました。大体何台売るかな?と思って見ておりました。その44人で大体月100台くらいしか売れないんです。1人平均2.2台です。私どもは軽自動車を売っていますが、1台売って、7万円くらいの上がりしかあがらないんです。そうすると、1人平均の獲得上がりは15万くらいです。それに給料を30万とっている人がいる、40万とっている人がいる、中には部長クラスで50万とっている人がいる。全然ペイしません。
そして、私どもの取締役が私の所に来まして「社長、これは逆に赤字が増えるんじゃありませんか?ちょっと考えないかんのじゃありませんか?」と言うんです。「何を言っとるか、これで良いんだ。これで十分採算はとれるから」と私は胸を張って言えたんです。
なぜ言えたか?それは、間接員の数であります。今まで男性49人、女性15人いた間接員を男性5人にしたんです。そして女性はそのまま15人置きましたから、合計20人であります。64人が20人になったんです。そうしたら、仕事が出来ないと思うでしょう?
残した5人の男性社員が私の所に来て、「こんなむちゃな事をされたら、これから決算も出ませんよ。今まで月次決算も翌月の10日には出しましたが、翌月の月末になっても出ませんよ。それで良いんですか?」と言ったので、「あぁ、それで良いよ。僕は現場を駆けずり回っとるから、今月なんぼ儲かったか、損したかいうのは大体勘で分かっとるんや。きちっとした数字はいつでもええ。お前の出せる時で良いから、何ヶ月遅れても良いから勝手にやれ」と蹴飛ばしたんです。
翌月10日にたまたま本社に行く用事があって本社に行きましたら、その5人の中の経理の責任者が私の顔を見て、「あー、社長、良い所に来ていただきました。ちょっと報告したい事があります」と走って来たんです。「なんだ?」と聞いたら、「先月の月次決算が出ましたから、見ていただけませんか?」と言うんです。「君、1ヶ月遅れても出ん言うたじゃないか。どうして出たんや?」と聞きましたら、「いや、不思議ですなー。やればやれるもんですなー」と言うんです。
私は、これは日本の企業の甘さだと思うんです。日本の企業はだいたい間接員が多過ぎます。30%くらいいると思います。私はこれを3分の1にしたんです。それでもちゃんと仕事が出来るんです。いらない仕事は止めて、いる仕事だけに絞ります。そうしたら、ちゃんと出来るんです。
私は3分の1くらいにしたものですから、まあまあかと思っていたんですが、もっと凄い会社があります。東京の小金井という所に、武蔵野というもの凄く有名な会社があります。ここの社長が小山昇と言いまして、この人は本を出しますと、日経新聞の2面欄に全5段の広告宣伝を載せます。あれで10万部売れるんです。その代わり、広告費が1千万かかります。この社長は凄いんです。今や、有名人になってしまい、物を言いにくくて仕方がないです。
私は、いっぺん良い会社を見たら、聞いたら、直ぐに行きたくなるので、武蔵野さんに寄らせてもらって、その時社長は会って下さいました。武蔵野という会社には社員が450人おります。450人いて、ダスキンの貸し雑巾等もその内の400人くらいやっているんです。後の50人は経営サポートと言って、経営指導で全国に展開しています。これの方が儲かっているんです。
私は「おたくの経理は何人でやっておられますか?」とお尋ねましたら、「経理?経理は経理部長だけで良いやないか。なんで部下を置かなきゃいけないんだ」とおっしゃいました。「え?そうすると1人ですか?」、「当たり前やん、1人でやるねん」、「総務は何人ですか?」、「総務は総務部長だけで良いではないか。なんで部下をおかなきゃいけないんだ」とおっしゃいました。「他に間接員はいないんですか?」と言ったら、「あと、企画に課長が1人いる。」とおっしゃる。3人ですよ。500人中、間接員はたった3人です。そこで、私は「1人の経理マンでは、なかなか月次決算が出ないんじゃないですか?」と聞いたら、「何を言うか!」とまた叱られました。「うちは月末に閉め切ったら、翌1日の午後3時に前月の月次決算がばっと出るんだ。そういうシステムを作っているんだ。君の所もうちの真似をしろ」と言うんです。いや、凄い会社があります。ほとんど直接員です。そうすると、儲かってしょうがないんです。
そういう会社がありますから、皆様方の会社も、今おられる事務員などの間接員をとりあえず半分にされたらいかがですか?そして、半分を直接員にしたら、その人達が嫌々でも売った分は、まるまる儲けになります。丸儲けです。私どもも、その44人が嫌々売った100台は、丸儲けです。そうすると、これは馬鹿にならないんです。今まで64人でしていた分が、20人の間接員できっちっと出来るんです。これは、私が体験しましたので間違いありません。絶対出来ます。
この中に、総務部長さんや経理部長さんがおられたら、大変申し訳ありませんが、だいたい日本の会社の経理部長、総務部長がけしからん。日本の会社の経営部長、総務部長は、自分の部下の数を気にする。そして「部下がこれだけいないと決算が出ませんよ」とかいう事を平気で言うのです。それを聞いた社長さんは妥協するんです。
しなくて良いんです。「決算はいつでも良い。出せる時に出せ」と言っても、きちんと今まで通り出ますから。これは間違いありません。私はちゃんと体験済みですから。だから、がさっと半分に減らせば良い。減らして残りを現場に回し、その人達が少しでも売ったら丸儲けです。こういうのを、直間比率の改善と言います。これを徹底しておやりになれば良い。簡単に出来る事です。これは社長の決心だけなのです。
それから、実は私にはお師匠さんがおります。私のお師匠さんは、元三洋電気の副社長でありました、後藤清一という方なんです。この方は2年前に亡くなられましたが、この方は最初に松下電気に入られまして、松下幸之助さんの愛弟子でございました。幸之助さん夫妻に仲人をしてもらったんですから、相当可愛がられた人です。その幸之助さんの奥さんの弟で、井植歳男さんという方がおられまして、この方が三洋電気を創業なさいました。その時に、番頭格としてその後藤清一という人を連れて行き、副社長にしたんです。だから、後藤清一という人は、大番頭なんです。松下幸之助、井植歳男という2大巨頭に好かれた大番頭です。
この方が、大阪で塾をしておられまして、私は幸いにその塾生にしていただけたものですから、毎月お会いするチャンスがあり、お会いするたびにおっしゃる事がございました。「君が部下を使うコツは、布団の寝起きと同じようにせなあかんで。朝布団から起きる時、必ず頭が先に起きるじゃないか。寝る時は足が先やな。頭が最後に枕につくやない。それと同じようにせい。これが、部下を使う最大のこつや!君、やれよ!」私は毎月言われました。これは、分かりやすいです。
要するに、地位が上の人ほど会社に早く行けという事です。そして、部下を迎える姿勢をとりなさい。帰りは部下を見送って帰りなさい。要するに、上の人ほど給料をたくさん貰っています。給料をたくさん貰っている人ほど長い時間働くのは当たり前ではないかという考えです。
これは、先ほど私が申し上げた通り、勤というやつです。私もこの話を聞いていますから、兵庫ダイハツに行った時に、絶対一番に行こうと思いました。一番に行こうと言っても、私は本社へ行きませんから、出先に行くのです。
兵庫県というのは滋賀県の面積の3倍ありまして、あそこの県はむちゃくちゃ広いんです。そして、海が3つあります。日本海にも面しているし、瀬戸内海もあります。それから、淡路島という大きな島の南側が太平洋なんです。だから、海が3つありまして、内陸がもの凄く広いんです。
一番遠い営業所は、鳥取県の県境に浜坂という蟹で有名な港にありまして、私の家からそこまで車で4時間かかります。私が現地に着いた時に、誰か1人でも社員が出勤していたら、私は頭から起きたという事にならないので、みんなが出勤するまでに現地に着かなければなりません。そうすると、9時始まりの会社でしたが、少なくとも7時には現地に着かなくてはまずいです。8時だったら、必ず誰か来ています。
だから7時に着こうと思うと、4時間かかるんですから、私は家を3時に出ないと間に合わない。家を3時に出ました。自分で運転をして行き、門扉は自分で開けました。それから、冬だったのでストーブに火をつけ、湯をわかしました。そして、みんなが来るまでに、出来るだけ外などをずっと掃除していました。そうしたら、8時くらいからぼつぼつうちの社員がやって参ります。私の姿を見て、あっと驚く訳です。「えっ、社長、もう出勤しておられるんですか!申し訳ございません!」そこの営業所長は僕に平謝りに謝っていました。
私は、その営業所長はちっとも悪いと思いません。私の前任社長は1回も現場に行かず、いつも本社に重役出勤でした。だから、現場の人は、社長がこんな営業所に来るはずがないと思っているので、こんなにのほほんとしておれた。
それが、ある日出勤したら、社長が掃除をしているではないですか。その姿を見て、会社が変わらないはずがないです。どんなに業績が悪い会社でも、あっという間に良くなりますから。そのかわり、私は大変です。私は毎日どこかの拠点に7時までに着くように行くんですから、それは大変です。大変ですが、私はこれがありますから。戦略。なんとしてもこの会社を再建して、親父が失敗してメーカーに渡っている株を、この際に取り返さなければならないと思っているでしょう?だからやれたんです。そういう戦略があったから、どんな苦労もいとわなかったんです。
それで、毎日7時までにどこかの拠点に出て、ミーティングをして、それからまた20件くらいお客様を訪問する。そして、直接家に帰ってしまう。こんな事をずっとやっておりました。1年ほど経って、とうとうダウンして、十二指腸潰瘍になり、もうガタガタになりました。しかし、私が病気になったら、会社が健康になりました。そういうもので、やはり社長の後姿で社員に教えれば、社員は勝手にやってくれるんであります。
私が兵庫県に行きましたのは、48歳の時でございます。まる5年、53歳までおりました。今から考えますと、48から53なんていう年代は、人生最高ですね。朝早くから夜遅くまで働いたって、そんなに身体が辛いという事は全くありませんでしたし、やはり気合いが入っていました。だから、そういう良い年代に任命されたという事が、私の運の良さです。日頃からそういう事をずっとしていたから、認めてくれたんであります。

そうして、初めて兵庫県に行きました。私どもは軽自動車が主でございますから、軽自動車を売っているのは、だいたい町の営業所なんです。しかし、それ以外にもモーター屋さんという各地に小さなモータースがあり、そこがだいたい代理店として売ってくれている事が多いのです。
私はずっと挨拶回りをしていましたら、どこに行ってもうちの看板が上がっていないんです。そして、ライバルの看板が上がっているんです。そこで私は店の店主に「どうしてうちの看板を上げていただけないんですか?不公平じゃありませんか」と文句を言ったんです。
そうしたら、そこの店主が私に「何を言うか、君の所には今まで何回も頼んどる。1回もお前のところ上げに来た事ないやないか」と言うんです。「そうですか、それは申し訳ございません。じゃあ、もう少し待って下さい。直ぐに上げに来ますから」と言って、1,000件ほどあった代理店全てに挨拶回りを済ませ、うちの取締を呼んで、「どうしてうちの代理店に看板を上げないんですか?看板を上げなかったら、その代理店がダイハツを売っているという事がお客様には分からないじゃないか」と言いました。
うちの取締役が「社長、そんな無茶を言わないで下さい。私達は一生懸命経費節減、経費節減必死になってやって来たんです。それでも、10億の赤字があるんで、もしそんな看板なんか、ばんばん上げていたら、今頃15億くらいの赤字になっていますよ。どうしようもないんですよ。私達は、一生懸命経費節減で、使う金も使わずにやって来たんです」と言いました。
「そういうふうに思っている人は経営の甘ちゃんや。経営のプロというのは、そんなふうに言わんぞ。経営のプロというのは、使えば儲かるというのが経営のプロや」こう言ったんですが、これが全然理解してもらえない。
「経費は使ったら損じゃないですか。そんなもん使って儲かるなんて、そんな事あり得ない」そこで、私は「じゃあ、責任は僕が1人で負うから、今から言う事を6ヶ月以内に実行してもらいたい。県下に1,000本の看板をぶっ建ててもらいたい。それから、私どもの直営のショールームがもう汚い汚い。天井ボコボコで、床ボコボコで、天井真っ黒け。ちっとも修繕費かけてない。全部リニューアルしなさい」と言って見積もりを取りました。拠点が20カ所あり、修繕費は約3億と言うんです。それから、看板は1,000本建てると2億なんです。合計5億。
「良いじゃない、やりなさい」と言ったら、経理の責任者が私の所に来まして、「社長、そんな事言われても、5億なんて金、うちにはおまへん」と言うんです。それは無いだろうと思いました。「じゃあ、今から僕が銀行に行って特別融資頼もうか」と言ったら、「いや、社長行かないで下さい」と言うんですね。「なんでや?」と聞いたら、「今まで銀行には粉飾決算を出して、とにかくトントンの決算を出しています。もしも社長が行かれたら、本当の事を言われるでしょう?言われたら、今まで借りとる金を全部返せと言われますよ」こう言いました。
「僕が今嘘ついたら、一生嘘つかなきゃいかんから、僕はとにかく銀行に行って、今までの不祥事は全部詫びる。詫びるから、その時に支店長さんがどうおっしゃるかや。とりあえず付いて来なさい」と言って、経理部長を連れて行って、そこの支店長に会いまして、「今までの決算は全部嘘でございました。まことに申し訳ございません。私が社長になりました以上は、絶対に今後粉飾致しませんから。これが本当の決算書でございます」と言って見せました。
銀行さんは、「あなたの所が粉飾決算やっていたのは、よく分かっていた。ただ、あんたは正直に本当の事を言ってくれた」と言うんです。僕は更に、「追加融資でぜひ5億円を貸していただきたいんです。そうしたら、この会社は立ち直ります」と言ったんです。そうしたら、その銀行の支店長さんは、「あぁ、良いですよ。どうぞお使い下さい」と無条件で貸して下さいました。
それで、その5億円で1,000本の看板を建て、ショールームを全面改装し、大売り出しをしました。なんと、その年は対前年比で新車販売台数27%アップしました。私どものメーカーさんは、対前年比というのを大変気にしておりまして、対前年比で5%くらいアップすると、ある一定のバックマネーがあるんです。それが10%アップになると、その2倍あるんです。15%アップしますと3倍、20%アップしますと4倍、25%アップしますと5倍なんです。私どもは、27%ですから。もう毎月バックマネーが、ガボーっと入って来るんです。こんなに面白い事はありませんでした。
そうして、その5億円は全て看板や広告宣伝費、ショールームの改装費は修繕費で全部落としました。そうしたら、私が行く前の年は2億円の赤字だったのに5億で費用を落としたら、今期の赤字は7億になると、うちの重役達は思っていたようです。そして、決算をしてみると、赤字どころか黒字が6千9百万出たんです。それで、皆びっくりしたんです。「なるほど、社長のおっしゃっている、使えば儲かるというのは、こういう事ですか!よく分かりました!」と言って、それ以後私の言う事は、なんでも通りました。
これは、事実でございまして、経費節減というのは誰しも言っておられるし、私も反対ではありません。当然余計なお金は使ってはいけない。しかし、経費の中には使えば儲かるという経費があるんです。その使えば儲かるという経費をカットしてはいけないんです。カットしたら来年がないんです。
それは、どういう経費かと言いますと、例えば広告宣伝費や修繕費。会社をいつまでも汚いままで放っておいたら駄目です。それから教育費です。こういう色んな講習会などの費用はケチっては駄目なんです。メーカーさんですと、研究開発費です。今年はもう儲からないからゼロにしようと言われたら、来年申請費が出ません。だから、そういう経費だけは、思い切って使わなければいけない。その為には、経費項目を分けるんです。
固定費をフィックスド・コストと言います。フィックスでFなので、F1、F2、F3、F4と分けるんです。そして、F1は人に要る経費、人件費です。F2は物に要る経費。これは色んな品目があります。電気代、ガス代、水道代、交際費、旅費など。3つ目は金に要る経費、金利です。経費というのは、だいたい人、物、金にいるのですが、私はもう1つ、F4というものを作りました。

これは、昔沖縄にF4ファントム戦闘機というのが飛んでいましたが、あの発想です。これは戦略なんです。要するに、今現在金を使えば、来期にプラスになる。あるいは、情報費と言っても良いです。あるいは、未来費と言っても良いです。未来の為に今期中に使わなければならない金です。こういうものは、やはり儲からないからと言ってカットしたら、ますます儲からないようになります。だから、このF4はもっと使え!!と言わなければならない。それが、中々儲かっていないと言えません。大抵の人は言えません。私は、メーカーの会社ですから、もしも失敗したら、辞めたりしないといけないと思っていました。だから、思い切って使えたんです。そうしたら跳ね返りが大きくて、儲かりだしたんです。これは、運が良かったという事でしょう。
このような事で、私は他にもやった事が色々ありますが、とにかく5年間やりました。5年間やったら、私の行く前の年は1万8百台の販売でありましたが、私が5年やったら、それが2万2百2十台になりました。マーケットシェアは5%でしたが、10%になりました。赤字が10億ありましたが、これは3年で勝手に消えました。
5年目には、年間利益5億以上あがる会社になりました。これは、ダイハツの販売店で日本一です。私の行く前は最下位でした。日本で75番目だったんです。それが、5年経ったら、一番になってしまったんです。2万台というのは、私が最初から決めていた目標でした。これを達成出来ましたが、私も助っ人なので、助っ人というのは良い時に返さないと、また業績が悪くなった時には返しにくいですから、今が一番良い時だと思って、メーカーに返しに行ったんです。
「もうこの後どなたが継がれても大丈夫ですから、これでお返しします。もの凄くええ会社になりましたよ」と言ったんです。そして、その時に言わなければならない事を申し上げました。「もし私の実績をご評価いただけるようでしたら、私の親父が失敗して、メーカーに渡っている株を、是非この際私に買い取らせていただきたい。私は、この事を一生の目標にしてやって参りました。今やっとお願いするタイミングが参ったと思っております。なにとぞお聞き届け願いたい」と申し上げた。
そうしたら、メーカーは断れませんよね。「君には世話になった。全国のリーダーになって、よくやってくれた。大変感謝しとる。君がそこまで株の事を思っているなら、これは例外中の例外だけど、君に譲らざるを得ないな」とおっしゃったんです。私の長い間の想いがやっと叶えられると思って喜びましたが、その次の言葉でまたゾーっとしたんです。
「ただし」、ただし、というのは怖いですね。「ただし、君に売る株の値段は現在の時価だ。」むろん私は額面で買い取れると持っておりませんが、親父と私は親子の関係ですから、配当還元方式からいって、3倍くらいかなと思っていたんです。ひょっとしたら、4倍と言われるかもしれないが、4倍なら絶対に買えると思っていました。それだけの金も準備していたんです。ところが、そんなに甘くはなかったです。メーカーさんが私に提示なさったのは、実に15倍でございました。私は泣きました。そして、とうとう100%株を買う事は出来ませんでした。
しかし、50%以下で滋賀県に戻ったら、滋賀ダイハツの社員は「あんた、何の為にメーカーと会社を助けに行ったんですか?」と笑います。だから、やむを得ず60%というふうにしたんですが、それでも何億と必要だったんです。無論、私にはその5年間の実績によって、メーカーさんが破格の退職金を準備して下さいました。
しかし、その退職金は私のポケットには1回も入りませんでした。税金を引いて、そのままメーカーに振り込みました。それから、それまで貯めた貯蓄を全部解約して、メーカーに振込みました。それでも足りません。銀行に行って、「今度買い取る株を全部担保に入れます。保証人も2人入れます。私の土地、建物も全部担保に入れますから、何卒この足らない分を貸してもらいたい。今は、たとえ60%でも株を買い取るチャンスなんですから。ぜひご協力していただきたい」と申し上げたら、銀行さんも、「それはそうでしょう」と言って貸してくれまして、1億ほど借りて、やっと60%買い取る事が出来ました。
そして、私に残ったのは、株券60%と借金1億だけなんです。貯蓄はゼロです。それから、わたしはずーっと貧乏です。この株は、二度と売りに出せません。換金出来ない。だから、株は怖いというのが私の実感です。それだから、皆さん方もぜひ自社株が人手に渡らないように下げないといけない。人手に渡らないようにしようと思ったら、赤字を出したらいけないんです。どんな事があっても、黒字で行かなければならない。赤字は悪なんです。
私は、私どもの取締役を集めて、「赤字は1ヶ月も許さん!認めん!」と言っているんです。そんなまじないみたいな事を言って、上手い事行くものかと思うでしょう?これがいくんです。うちの幹部社員はみんな、我が社は一ヶ月も赤字を出せないと思っています。

ところが、車が売れない月があります。1月、8月、盆、正月です。今年の8月は、援助金(補助金)がありましたから、少し普通の8月とは違いましたが、普通は8月なんていうのは70%しか売れません。それを放っておくと、私どもの規模で月次で3千万の赤字が出るんです。だけど、私は一切の赤字を認めていません。認めないと言ったら、なんとかしないといけない。車が売れないから、何か他の物を売らなければならない。私どもは、8月なんかは百貨店みたいになるんです。あちこちから色々な物を仕入れて来て、全社員で売りまくるんです。
例えば、ラーメンやそうめんまで売ります。そうめんなんて大した事はないと思うでしょう?私もそう思っていました。しかし、3,000円のそうめんを1,500円で仕入れるルートがありまして、これをうちの350人の社員に1人10箱ずつ渡して、「これを親戚にでも回って売って来い。もしも売れなかったら、お前の家で食え」と言うと、10箱くらいだったら、なんとかしてくるんです。そうすると、10箱で1万5千円の儲けです。それに350人をかけますと、500万くらいの利益になるんです。馬鹿にならないのです。そうめんだと言って馬鹿に出来ないんです。やらなければゼロですから。それ以外にも色んな商品が沢山ありまして、1ヶ月も赤字を出さなくていける。8月でも、なんとかトントンに持って行ける。
そうすると、季節指数が良い3月、4月になると、ぶわーっと売れるので、その時の儲けがまるまる残るんです。だから、高収益会社なんです。その時に、赤字途中でどんどん減らすからいけないのです。それで、結局3月に売れて、挽回したとしても、やはり赤字だったという会社が多いのです。だから、1ヶ月も赤字を出さないという決心。これです。これを社長が決心なさったら、やはり幹部社員だって何かしないといけないと考えてくれます。色々な知恵が出ます。
私どもがしている事ですから、ぜひ皆様方もそういうふうに、「赤字は悪や!赤字は1ヶ月も認めん!」と社長が言うと、なんとかしなければいけない。「今月はしょうがないな、来月頑張ろうか」と言うと、社長が赤字を認めてしまっています。社長が赤字を認めて、社員がそれを跳ね返して黒字にしてくれますか?だから、社長というのは、それくらい厳しく、妥協しないようにやらなければならないんです。
今日は私の体験談を色々お話させていただきましたが、もしもご質問等がございましたら、残り僅かな時間ですが、お答えさせていただきたいと思います。長い間ご清聴ありがとうございました。
○参加者
今日はありがとうございました。
気になった事が2つありました。まず、60%の株は今度は後継者の方に相続するのは大変だろうなと思いました。その点は、ご家族でなさると思うのですが、もう1つ気になっているのは、後藤さんは後継者に継ぐ為に、今までどのように教育をされてきたのか、もしくは今どのようにされているのかという事がありましたら、教えていただけますか?
○後藤
はい。うちの長男が私の跡を継いで社長になって16年です。36歳で社長になりまして、今は52歳です。社長にするのには、うちの長男はよその会社におり、その会社でかなりの立場におりましたので、なかなか引っ張るのが大変でございました。「うちのおじいさんがつくった会社だから、ぜひ君が来て頑張れ」と言って引っ張った訳です。
最初は、うちに来てもらって「ナンバーワンのセールスになれ」と言い、まず営業に配置しまして「絶対に他のセールスに負けちゃいかん。トップにならんと、次の道はないよ」と言っておきましたら、2年くらいでトップを取りました。私どもの会社のトップです。それで、次は管理職として見ないといけませんので、ある拠点を持たせまして、「拠点中最高の利益を上げるようにしなさい」と言ったら、もの凄く頑張りまして、拠点中ナンバーワンになりました。
しかし、問題は次です。経営者としてどうかという事です。それには、3段階を踏ませないといけません。一般社員でとる、管理職でとって、そして経営者としてどうかという事です。
私は、私どもがつくった子会社の中に、潰れかかった会社が1社ございまして、「これを再建して来い」と言いました。これは、私どもの県で、北の方に長浜という所がございまして、そこに拠点があり、それが潰れかけていたんです。誰がやってもなかなか上手く行かない。それで、うちの息子に行けと言いました。
滋賀県というのは小さな県で、私は大津に住んでおりましたが、大津から長浜まで1時間半で行けるのです。私は当然通勤するものだと思っていたら、うちの長男は、「そんなん通勤しとったらいかん。とにかく会社の側にマンション借りて、そして家族も全部連れて行く。朝が勝負なのに、そんなにゆっくりしてられん」と言って、直ぐにマンションを借りまして、家族を連れて行きました。これは立派だと思いました。
やはり、その土地の人間にならないと駄目なんです。他の地区にいて、そこから通勤するようでは駄目。そして、朝が勝負。なんと言っても朝1番に行かなくてはならないんです。その朝を徹底して、掃除をし、販売会社回りをしたので、赤字が数年で消えました。それで、社員皆がこの人が後継者としては最適だというふうに認めたんです。
そういうふうに持って行かないと、息子だからと言って、最初に総務や企画か何かをやらせて、それから直ぐに社長にするなんていうのは絶対に駄目です。やはり、現場での仕事でナンバーワンにならせなくては駄目です。そういう実力のない子に後を譲ったら、結局2代目のこの写真みたいになります。
添付資料(印刷用にご利用ください)
- 100927report.pdf (570.7 KB)
講師:後藤 昌幸(ごとう まさゆき)
滋賀ダイハツグループ オーナー
1933年大阪生まれ。経営不振に陥っていた父親の創業した滋賀ダイハツ販売を見事に再建し、滋賀県のトップディーラーに育て上げる。兵庫ダイハツ販売の立て直しを手がけた。「二位から下は全て敗け」「赤字は1ヶ月も許さない」と常に訴えかけ、自らが現場を動き回って範を示すことで社員を牽引してきた。















